ABC殺人事件
The ABC Murders

放送履歴

日本

字幕版

  • 1992年10月02日 19時30分〜 (NHK衛星第2)

オリジナル版(99分00秒)

  • 1993年01月01日 16時05分〜 (NHK総合)

ハイビジョンリマスター版(101分00秒)

  • 2016年05月28日 15時00分〜 (NHK BSプレミアム)※1
  • 2016年11月02日 16時00分〜 (NHK BSプレミアム)※2
  • 2020年10月31日 16時19分〜 (NHK BSプレミアム)※3
  • 2021年11月22日 09時00分〜 (NHK BS4K)
  • 2023年01月11日 21時00分〜 (NHK BSプレミアム・BS4K)※4
  • ※1 エンディング冒頭の画面上部に次回の放送案内の字幕表示(帯付き)あり
  • ※2 エンディング冒頭の画面下部に次回の放送時間案内の字幕表示(帯付き)あり
  • ※3 エンディング最後の画面下部に次回の放送時間案内の字幕表示(帯付き)あり
  • ※4 BSプレミアムでの放送は、オープニング冒頭の画面左上にBS4K同時放送のアイコン表示あり

海外

  • 1992年01月05日 (英・ITV)

原作

邦訳

  • 『ABC殺人事件』 クリスティー文庫 堀内静子訳
  • 『ABC殺人事件』 ハヤカワミステリ文庫 田村隆一訳
  • 『ABC殺人事件』 創元推理文庫 深町眞理子訳
  • 『ABC殺人事件』 新潮文庫 中村能三訳

原書

  • The ABC Murders, Collins, 6 January 1936 (UK)
  • The A.B.C. Murders, Dodd Mead, 14 February 1936 (USA)

オープニングクレジット

日本

オリジナル版

名探偵ポワロ ♦︎ スペシャル / AGATHA CHRISTIE'S POIROT / DAVID SUCHET // HUGH FRASER / PHILIP JACKSON / ABC殺人事件, THE ABC MURDERS / Dramatized by CLIVE EXTON

ハイビジョンリマスター版

名探偵ポワロ / DAVID SUCHET / AGATHA CHRISTIE'S POIROT / ABC殺人事件 // HUGH FRASER / PHILIP JACKSON / THE ABC MURDERS / Dramatized by CLIVE EXTON

エンディングクレジット

日本

オリジナル版

原作 アガサ・クリスティー 脚本 クライブ・エクストン 監督 アンドリュー・グリーブ 制作 LWT(イギリス) / 出演 ポワロ(デビッド・スーシェ) 熊倉一雄 ヘイスティングス(ヒュー・フレイザー) 富山 敬 ジャップ警部(フィリップ・ジャクソン) 坂口芳貞  クラーク 内田 稔 ドン 玄田哲章 メアリ 吉田理保子 ソーラ 弥永和子 ミーガン 榊󠄁原良子 カスト 矢田 稔  江原正士 村松康雄 斉藤 昌 藤 夏子 藤本 譲 さとうあい 大滝進矢 仲木隆司 峰 恵研 星野充昭 安永沙都子 / 日本語版 宇津木道子  山田悦司 福岡浩美 南部満治 金谷和美

ハイビジョンリマスター版

原作 アガサ・クリスティー 脚本 クライブ・エクストン 演出 アンドリュー・グリーブ 制作 LWT (イギリス)  出演 ポワロ(デビッド・スーシェ) 熊倉 一雄 ヘイスティングス(ヒュー・フレイザー) 富山 敬/安原 義人 ジャップ警部(フィリップ・ジャクソン) 坂口 芳貞  クラーク 内田 稔 ドン 玄田 哲章 メアリ 吉田 理保子 ソーラ 弥永 和子 ミーガン 榊󠄀原 良子 カスト 矢田 稔  江原 正士 村松 康雄 斉藤 昌 藤 夏子 藤本 譲 さとう あい 大滝 進矢 仲木 隆司 峰 恵研 星野 充昭 安永 沙都子 西本 理一  日本語版スタッフ 翻訳 宇津木 道子 演出 山田 悦司 音声 金谷 和美 プロデューサー 里口 千

海外

オリジナル版

Hercule Poirot: DAVID SUCHET; Captain Hastings: HUGH FRASER; Chief Inspector Japp: PHILIP JACKSON; Cust: DONALD SUMPTER; Franklin Clarke: DONALD DOUGLAS; Donald Fraser: NICHOLAS FARRELL; Megan Barnard: PIPPA GUARD; Mary Drower: CATHRYN BRADSHAW; Thora Grey: NINA MARC; Inspector Glen: DAVID McALISTER; Lady Clarke: VIVIENNE BURGESS; Miss Merrion: ANN WINDSOR; Franz Ascher: MICHAEL MELLINGER; Mrs Turton: MIRANDA FORBES; Superintendent Carter: PETER PENRY-JONES; Mrs Marbury: LUCINDA CURTIS; Deveril: JEREMY HAWK; Dr Kerr: ALLAN MITCHELL; Doctor: PHILIP ANTHONY; Man in Library: ANDREW WILLIAMSON; Mr Barnard: JOHN BRESLIN; Constable: CLIFFORD MILNER; Doncaster Sergeant: CLAUDE CLOSE; Andover Sergeant: ALEX KNIGHT; Scotland Yard Sergeant: DAVID RICHARD-FOX; Mr Downes: CAMPBELL GRAHAM; Commissionaire: GORDON SALKILLD; Mr Strange: NORMAN McDONALD; Nurse: JANE BIRDSALL; Stunts: BILL WESTON, PAUL WESTON, EDDIE POWELL, DAVID CRONNELLY / Developed for Television by Carnival Films; (中略) Production Designer: ROB HARRIS; Director of Photography: CHRIS O'DELL; Music: CHRISTOPHER GUNNING; Executive Producer: NICK ELLIOTT / Producer: BRIAN EASTMAN; Director: ANDREW GRIEVE

あらすじ

 ABC と名乗る人物からポワロのもとに送られてきた殺人を予告する手紙。そこに書かれた言葉のとおり、アルファベット順の場所でアルファベット順の名前を持った人物が殺されていく。はたして犯人は異常な殺人狂なのか、それとも……

事件発生時期

1936年8月下旬 〜 9月下旬

主要登場人物

エルキュール・ポワロ私立探偵
アーサー・ヘイスティングスポワロの探偵事務所のパートナー、陸軍大尉
ジェームス・ジャップスコットランド・ヤード主任警部
アリス・アッシャー第1の犠牲者、商店経営
フランツ・アッシャーアリスの夫、ドイツ人
メアリ・ドローワーアッシャー夫人の姪、小間使い
エリザベス・バーナード第2の犠牲者、ウェイトレス、愛称ベティ
ミーガン・バーナードエリザベスの姉、タイピスト
ドナルド・フレイザーエリザベスの恋人、愛称ドン
メリオンエリザベスの勤務先の女主人
サー・カーマイケル・クラーク第3の犠牲者、大富豪
フランクリン・クラークサー・カーマイケルの弟
シャーロット・クラークサー・カーマイケルの病身の妻
ソーラ・グレイサー・カーマイケルの秘書
デベリルクラーク家執事
アレキサンダー・ボナパルト・カストストッキングの訪問セールスマン
マーベリー夫人カストの家主
デニス・グレンアンドーバー警察警部
カーターベクスヒル警察署長

解説、みたいなもの

 1936年に発表された、クリスティーの〈黄金期〉を代表する長篇小説の映像化。原作のポワロの表現を借りれば「クリム・アンティーム〔内輪の犯罪〕」ではない「外側からの殺人」を扱っているのが特徴で、その次々と舞台を変える展開は、代表作ながらクリスティー作品にはめずらしい。そんな本作は、主演のデビッド・スーシェやヒュー・フレイザーがお気に入りの一作に挙げるだけでなく、ポワロの吹替を担当した熊倉一雄さんもおもしろかった作品として語っていた[1][2][3][4][5][6]。撮影時期は1991年5月頃[7]
 前半は多少駆け足の感があるものの、劇中の場面や台詞のほとんどに、原作に対応する部分を見つけることができる忠実な映像化で、たとえばバーナード家でポワロが目の前でドアを閉められてしまうようなちょっとした場面まで、ちゃんと原作にその根拠となる記述がある。変更点の中で大きなものは、クローム警部のカットや、原作では2か月半以上にわたっておこなわれた4つの殺人が1か月に満たない期間に集約している点、ドンカスター競馬場でポワロが連続殺人に隠された意図に気づく筋書きになっている点など。また、ベティの勤務先も(おそらく)架空のカフェ〈ジンジャー・キャット〉から、ベクスヒルに実在するデ・ラ・ウォー・パビリオンへ変更され、最後のポワロの説明もここで行われる。
 クロコダイル……じゃなくてカイマンの〈セドリック〉の存在もドラマオリジナル。カイマンとは、ヘイスティングスが日本語で「クロコダイルと違って南米にいるワニで」「中南米にしかいないワニの種類です」と説明するように、中南米に生息する比較的小柄なワニの種類。一方、クロコダイルはヘイスティングスの言葉と違って中南米を含む世界各地に生息しており、ヘイスティングスが〈セドリック〉を仕留めたというオリノコ川流域に生息するオリノコワニもクロコダイル科である。なお、ヘイスティングスの台詞は原語だと 'I shot him when we were still up in Venezuela... (ぼくがまだベネズエラにいるときに撃ったんですけどね……)' 'I bagged him while we were still up in Venezuela... (ぼくがまだベネズエラにいるときに仕留めたんですが……)' と自身の体験談になっていて、カイマンについて説明しているのは日本語のみ。また、ヘイスティングスの体験談に出てくる「オリノコ川の上流」は、原語だと a few miles upstream from/of La Urbana (ラ・ウルバナの数マイル上流) で、ここはオリノコ川全体からすれば中流域である。
 被害者の傍らに置かれた『ABC鉄道案内』は1839年創刊の歴史を持つ鉄道案内で、原作のヘイスティングスの記述によれば、「すべての鉄道の駅をアルファベット順に一覧にしていたので、ABCの略称で親しまれていた」。駅の情報としては、所在地とその人口、ロンドンからの距離と運賃、発着時間、そして大きな町の場合はホテル名などがまとめられており、ロンドンと英国各地を往復するのに特化した時刻表だったという。[8]
 ホワイトヘイブン・マンションの玄関ホールやエレベーターが第1シリーズ以来久しぶりに登場するが明らかに別物。また、ポワロの部屋のキッチンでも、オーブンや食器棚の配置が変更されている。ところで、そのエレベーターの階数表示は B 1 2 ... 9 となっているが、イギリスでは地面と同じ高さの階を ground floor (地面の階) と呼び、日本で言う2階を first floor (1階) とするのが一般的で、エレベーターもそれにあわせて B G 1 ... 8 と表示するのが通例である(G の代わりに、星印や、ロビー (lobby) を表す L を用いることもある)。アメリカでは日本同様に地面と同じ高さの階を first floor (1階) とするので、ホワイトヘイブン・マンションのエレベーターはアメリカ式で表示されていることになる。この玄関ホールはイギリスのスタジオに組まれたセットと見られるが、エレベーターのデザインはロサンゼルスにあるブロックス・ウィルシャー・ビルディングのエレベーターを模しており、アメリカ製のエレベーターが設置されているという設定で階数表示をアメリカ式にしたのだろうか(ただし、階数表示部分は独自のデザインである)。なお、エレベーターの 1 が玄関のある階を示していることは、ドンカスター事件の予告状が届いたあと、ポワロを訪ねてきたソーラと帰っていくジャップ警部がその階ですれ違うことから裏づけられる。
 日本語音声では、精神状態の直接的な表現や病名などが、全篇にわたって遠まわしな表現や別の内容に置き換えられている。図書館でカストが言う「いけませんねえ、戦争っていうのは」という、日本語だと一般論に聞こえる台詞も、原語では 'And it did, uh... unsettle me. (その〔戦争の〕せいで……不安定になりましてね)' という表現で、カストが戦争の後遺症に苦しんでいることがわかる。また、レディー・クラークが冒されている「不治の病」は癌である。
 冒頭のビクトリア駅の場面などで流れる本作のテーマ曲 The A-B-C Murders は、その題名にかけて A-B-C (ラシド) の旋律を主題に構成されているほか、各事件の幕開けにアルファベットがアップになる場面では、それぞれの文字に対応した音階が使われている(ただし、 C については「名探偵ポワロ」オリジナル版だとその場面がカットされている)。
 南米から帰国したヘイスティングスの荷物に書かれた A.J.M.H. や CAPTAIN A.J.M. HASTINGS という文字から、ヘイスティングスのミドルネームの頭文字が J. M. であると推察される。なお、これはドラマオリジナルの設定で、ここ以外で触れられることもない。
 タクシーのなかでポワロが言う「趣向をこらした、凝った」事件は、原作ではその具体的なイメージが語られており、その内容は「ひらいたトランプ」の事件だった。なお、原作発表順でも本作が「ひらいたトランプ」に先行しており、本作執筆時の着想を後日、「ひらいたトランプ」として結実させたと見られる。
 日本語だとアッシャー夫人の検死をした医師が「凶器の先端に力を加えれば〔力が弱い者でも犯行は可能〕」という見解を示すが、先のとがった刃物ならともかく、凶器がステッキや棍棒のようなものと見られていることを考えると、力を加える箇所が先端に近いほどモーメントが小さくなり殺害は難しくなるはずである。原語では 'given sufficient weight in the head of the weapon (凶器の先端に十分な重しがあれば)' という表現で、力の加え方ではなく凶器の作りについて言っている。
 アッシャーが警察署に連行される場面で、アッシャーが「何だってんだい」と言ったあとに原語だと 'We've found Ascher, sir. (アッシャーを発見しました)' という警官の台詞があるが、日本語音声には台詞がない。
 第2の手紙が届いてそれを読む際、ポワロから見たカットでは本文の3行目にかすれがあるが、ヘイスティングスから見たカットではそれがなくなっており、小道具の手紙が複数用意されていたことがわかる。
 第2の被害者の名前が B で始まる可能性について、カーター署長とポワロが「考えられますな」「可能性として言っているだけです」とやりとりするところは、日本語だと署長が予想外に真に受けたのでポワロが抑制しているようにも聞こえるが、原語の署長の反応は 'That would be something. (だとしたらすごいですがね)' という表現であまり納得しておらず、それに対してポワロは、あくまで可能性の話として、どちらかというと自説の妥当性を主張している。
 「切り裂きジャックはずいぶん犯行を重ねましたよ」というポワロの台詞で言及される〈切り裂きジャック〉とは、すくなくとも1888年に5人の女性を殺害した連続猟奇殺人犯のこと。その犯行とされる事件の範囲は諸説あるが、最短でも約2か月半のあいだに5件、最長では約3年間に十数件の犯行を重ねたとされ、その素性はいまだ判明していない。
 ベクスヒル事件の晩にデ・ラ・ウォー・パビリオンで上演されていた「いちごブロンド (Strawberry Blonde)」は、1933年初演の舞台を原作とし、劇中の時代設定より5年後の1941年に公開された映画のタイトルと一致している。しかし、その原作舞台の題名は One Sunday Afternoon であり、看板に書かれた原作者の名前も異なるので、それとは無関係な同名の(架空の?)舞台と見られる(後段、逃走を図った犯人の追跡がおこなわれる部屋も、舞台にフットライトがあることからわかるように、映画館ではなく舞台演劇の劇場である)。したがって、看板に重ねて表示される「デ・ラ・ウォー・パビリオン 今夕上映」という字幕はおかしい。また、ベクスヒル事件のあとでカストが観ていたのは Footsteps in the Sand という映画で、これも公開は劇中より3年後の1939年。ドンカスター事件の現場の映画館で上映されていたのはヒッチコックの「第十七番」で、これの公開は1932年。なお余談ながら、映画「いちごブロンド」の主演は、「安いマンションの事件」冒頭でポワロたちが観ていた「Gメン」と同じジェームス・キャグニーである。
 ドンがベティを捜したというイーストボーンはベクスヒル同様イングランド南海岸の保養地で、ベクスヒルからは直線距離にして西南西へ15キロメートルほどの場所にある(のちに B の事件のアリバイが問題になるのも、この距離による)。また、その際に映画館などと一緒に挙げられる「波止場」こと pier (ピア) とは、海に突き出した桟橋のことだが、日本語で想起されるような船の停泊施設ではなく、その上に遊園地などのあるレジャー施設のこと。イーストボーンとベクスヒルのあいだには大きな街がなく、またベティが行くと言っていたセント・レナーズとはベクスヒルから見て反対側にあることから、イーストボーンやそのピアがドンに内緒の逢引で行きそうな候補として疑われたのである。このドラマシリーズでは、「グランド・メトロポリタンの宝石盗難事件」でそのイーストボーン・ピアの桟橋上の様子を見ることができるほか、「24羽の黒つぐみ」「二重の罪」「カーテン ~ポワロ最後の事件~」でも背景にピアが映っており、「カーテン ~ポワロ最後の事件~」で見えるのはやはりイーストボーン・ピアである。
 ヘイスティングスが待っていたカタログの送付元は、原語だと Lilywhites (リリーホワイツ) と具体名を挙げられており、これは現在も実在するイギリスの大手スポーツ用品店。また、ハイビジョンリマスター版ではそのあとヘイスティングスが手紙の宛先を「ムッシュウ・ポワロ様」と読み上げるが、それぞれ敬称である「ムッシュウ」と「様」を両方同時に付けるものかしらん。ジョーン・ヒクソン主演「ミス・マープル」の「牧師館の殺人」にも、ミス・マープルが「ミス・マープルさん」と呼ばれる場面はあるけれど。
 ヘイスティングスがチャーストンへ行く汽車を調べるためにめくった『ABC鉄道案内』は、ページの内容が2パターンしかなく、見開きの両側まで同じになっている。ポワロのマンションに関係者が集まった日の晩に何者かがめくっていたものも、見えるページはすべて同じである。加えて、ヘイスティングスがめくったものや、カストがドンカスター行きの車内で手にしていたものは、表紙に刊行月が印字されていない。
 「名探偵ポワロ」オリジナル版では、第3の手紙の宛先に関するやりとりが、物語にとって重要な要素でありながら大半をカットされている。会話中に出てくるホワイトホース・ウィスキーが現在も実在する商品名で、日本の放送事情に配慮したのだろうか(警部の別の台詞にあったエドワーズの粉末スープも実在した商品だが、現在はすでに販売されていない)。ハイビジョンリマスター版では商品名もカットされずに放送されたが、その際、ほかのエピソードの日本語音声では基本的に「ホワイトヘイブン・マンション」と呼ばれているポワロのマンションの名を、ヘイスティングスが「ホワイトヘブン・マンション」と言う。また、書き間違いの原因をジャップ警部が「きっとウィスキーのホワイトホースだ」と言ったのに対して、ポワロと警部が「何をばかな! タイプライターの前にボトルを置いていたと言うんですか!」「心理状況的にありうることだと思いますがね」とやりとりするところは、原語だと 'Ah, c'est ingéniuex, ça! He types the address, and the bottle, it is in front of him! (ああ、それはうまい! 犯人は住所をタイプし、その前にはボトル!)' 'We've heard of psychology at Scotland Yard, too, you know. (我々だって警視庁で心理学の講義を受けているんですよ)' という会話で、警部の見解に対するポワロの評価が逆転している(おそらく日本語は ingéniuex (巧妙な) の語頭の in を、 génie (天才, 才能) に対する否定の接頭辞と誤解して訳されている)。なお、のちに犯人が D の予告をセント・レジャー競馬の開催日にあわせたことについてポワロがふたたび « C'est ingéniuex. » と言ったところは、オリジナル版から存在したこともあり、ちゃんと「うまい手だ」と訳されている。
 ポワロとヘイスティングスがキッチンで事件の話をしながら洗い物をする場面で見られるように、イギリスでは食器を洗う際、ためた水に洗剤を溶かして食器を漬け、それをブラシやスポンジでこすり、そのまま、あるいはためた水にくぐらせて、布巾で拭き取るのが一般的である。布巾で拭く前に流水ですすがないのは、日本人には潔癖なポワロらしからぬ行動に見えるかもしれないが、これはイギリスだけでなく、ベルギーでも一般的なやり方のようだ。
 ポワロたちがレディー・クラークに会いに出かけるときに乗った汽車には GWR と書かれているが、その帰途のチャーストン駅では窓の外に LSWR と書かれた貨車が見える。 GWR ことグレート・ウェスタン鉄道 (Great Western Railway) と、 LSWR ことロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道 (London and South Western Railway) は、いずれもロンドンと南西イングランドをつなぐ鉄道の運営会社だが、実際のチャーストン駅はグレート・ウェスタン鉄道の運営する駅だった。また、ロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道は1923年に合併によってサウザン鉄道 (Southern Railway) になっており、劇中の時代にはすでに存在しなかった。なお、現在のチャーストンの駅は、「エンドハウスの怪事件」で撮影に使われたダートマス蒸気鉄道の途中駅のひとつであり、クリスティーの別荘だったグリーンウェイ・ハウスの最寄り駅、グリーンウェイ・ホルトの隣駅である。
 ABC からの第4の手紙をヘイスティングスが音読するとき、原語では末尾の日付を the 9th of September と読むが、手紙には September 9th と書かれている。ヘイスティングスが読んだように日を月より先にするのがイギリスの正式とされるが、手紙のほうの語順は原作同様である。
 カストが家主のマーベリー夫人に偽って伝えた行き先のチェルトナムとは、「二重の罪」でヘイスティングスも話題にしていたように、チェルトナム・ゴールド・カップという有名な競馬の開催地。つまりカストは、競馬の連想からドンカスターの代わりにチェルトナムの名前を挙げたと思われる。また、チェルトナムはかつて温泉が湧いて上流階級の保養地として栄えた街で、そうした成り立ちがマーベリー夫人の「いいところですよ、すてきなお店があって」という評価の背景にある。
 ドンカスター事件の前の晩のクラークとポワロの会話は、日本語だと「姉は大騒ぎしたんです」「大騒ぎ?」「わめいて」というやりとりだが、原語では 'Charlotte cut up rough. (姉がひどく荒れたんです)' 'Cut up...? (ひどく……?)' 'Rough. (荒れて)' というやりとりで、その後のポワロの笑みは「大騒ぎ」の内容を理解したのではなく、 cut up rough (怒って荒れる) という成句表現の意味をとらえかねて誤魔化したものである。
 ドンカスター競馬場の群衆の映像の、記録映像の流用と思われる部分は、無帽の人が多くいたり、またスーツでないラフな恰好の男性が見られたりすることから、劇中の設定よりも新しい時代のものと見受けられる。一方、原語音声の場内アナウンスは(劇中は1936年ながら)1935年のセント・レジャーの、実際の出走馬の情報を伝えているが[9]、日本語音声での場内アナウンスは、一部に原語の固有名詞などが反映されているものの、おおよそ独自の内容である。なお、原語では Lord Astor (アスター卿) という人名が言及されているのに対し、日本語には「サー・アスター」という人名が登場するが、 Lord は男爵から侯爵までの貴族の爵号につなげて用いるのに対して、「サー (Sir)」は準男爵・ナイト爵を持つ人名のファーストネームにつなげる敬称である。また、デジタル放送の切換式字幕では「ヘイバークス」「ウチニプラッシー」という馬名が表示されるが、前者は「ヘアバークス」、後者は「無事にプラッシー」「内にプラッシー」の聞きまちがいで、「3番手は ウチニプラッシー その次に ソーラレイが来ました」と表示される箇所は、「3番手は内にプラッシー、外にソーラレイがつけました」と言っている。その前の「馬は いっぱいに大きく広がって」も、音声は「馬場いっぱいに大きく広がって」である。
 ドンカスター事件の犠牲者と遺体発見者についてドラマではほとんど掘り下げられないが、原作だと犠牲者の名前はアールスフィールド (Earlsfield) で、発見者のダウンズ (Downes) 氏が D の本来の犠牲者になるはずだったのが、人ちがいによって近くの別人が殺害されたと見なされる。
 ドンカスターの映画館でカストが席を立ったあとは左へ進んでいたはずが、ポワロの謎解き中の回想では右に進もうとする。
 メアリの外出着は常に同じワンピース。ほかの女性の外出着は都度替わっているので、これはメアリが召使いの身で、金銭的余裕がないことを意図的に示した演出と見られる。ちなみに、その黒いワンピースは、襟の素材や襟元の飾りなどに違いはあるものの(着脱式と見られる)、「戦勝舞踏会事件」で、ポワロの出演するラジオ番組を聴くミス・レモンが着ていた赤いワンピースの色違いである。また、謎解きの日にミーガンが着ている緑のツーピースも、「戦勝舞踏会事件」で事件翌日にミス・レモンが着ていたのと同じ服である。
 アンドーバーのアッシャー夫人の店周辺や、ドンカスターのリーガル・シネマの建物の撮影がおこなわれたのは、ミドルセックス州アクスブリッジ。ベクスヒルのロケ地は現地および隣町のセント・レナーズで、バーナード家があるのはベクスヒルのサード・アベニュー。チャーストンにあることになっているサー・カーマイケル・クラークの邸宅は、ハンプシャーのストックブリッジ近郊にあるマーシュコート。ドンカスターでポワロたちが滞在したグランド・ホテルの内部や、カストの公判がひらかれた警察裁判所の廊下はロンドンのフリーメイソンズ・ホール内。このフリーメイソンズ・ホールは「西洋の星の盗難事件」「あなたの庭はどんな庭?」「スズメバチの巣」「盗まれたロイヤル・ルビー」でも撮影に使われている。カストのロンドンの下宿、および彼がドンカスターで宿泊したザ・グローブ・タヴァーンの建物はともにロンドン・ブリッジ駅西側のデルタ線近くにあり、それぞれパーク・ストリートとグリーン・ドラゴン・コートから線路の高架をくぐるアングルで撮影された。警察に追われたカストが朦朧とした意識で歩いたのも、その近くのバラ・マーケット。カストの住所はサザックにあるマーケット・ストリートと設定されており(日本語音声ではヘイスティングスが「サザック・マーケット・ストリート」と一つなぎのように発音するが、原語や宿帳の記載 Market Street, Southwark に鑑みれば、台本の意図は「サザック〔の〕、マーケット・ストリート」であったと思われる)、マーケット・ストリートは架空の地名のようだがバラ・マーケット周辺を思い起こさせる地名で、ほぼ現地ロケと言える。オーバートンにある設定のメアリが勤める家は、画面に映る住所のとおり、リッチモンドのファイフ・ロードにある。鉄道の撮影の大半はブルーベル鉄道でおこなわれており、アンドーバー・ジャンクションやチャーストンの駅はいずれもホーステッド・ケインズ駅。冒頭のビクトリア駅や、チャーストンに出発するパディントン駅の場面も、時刻表を売るスタンドや汽車を前にした箇所はホーステッド・ケインズ駅で撮影されたと思われる。このブルーベル鉄道とホーステッド・ケインズ駅は、「コックを捜せ」(車内のみ)や「ジョニー・ウェイバリー誘拐事件」「スタイルズ荘の怪事件」「西洋の星の盗難事件」(駅は元ケッチズ・ホールト駅)、「プリマス行き急行列車」でも撮影に使われた。一方、2度目にチャーストンへ向かう汽車の外観は西サマーセット鉄道のものと見られ、「コーンワルの毒殺事件」でコーンワルへ往復したのと同じ車両。「コーンワルの毒殺事件」にまったく同じ映像は見られないが、同作撮影時の未使用映像の流用だろうか。冒頭のビクトリア駅に汽車が入線する映像は、「二重の手がかり」のラストシーンからの使いまわしで、そのすこしあとの入線する汽車がアップになった映像は「二重の手がかり」に見られないが、やはり同作撮影時の未使用映像か。チャーストンに向かう車窓から海を望む風景もバンク映像と見られる。チャーストンに向かうポワロたちとジャップ警部が待ち合わせた場所は、「100万ドル債券盗難事件」のハイビジョンリマスター版のみ見られる場面で、リッジウェイと借金の取立人が会っていたのと同じところ。冒頭のビクトリア駅の大時計や、ドンカスター駅の出入り口はロンドンのセント・パンクラス駅で撮影された。
 クラーク家の執事デベリルを演じたジェレミー・ホークはヒュー・フレイザーの妻であるベリンダ・ラングの父で、フレイザーとは義理の親子にあたる。また、ドン・フレイザー役のニコラス・ファレルは、「アガサ・クリスティ・アワー」シリーズの「エドワード・ロビンソンは男なのだ」にタイトルロールで主演しているほか、ジョン・ネトルズ主演の「バーナビー警部」の一篇、「カラスの森が死を招く」のジョン・メリル役でも見ることができる。カストがドンカスターで泊まった宿のおかみは、「二重の罪」でノートン・ケインが泊まった宿のおかみを演じたミランダ・フォーブス。ハイビジョンリマスター版で、競馬場を警戒するドンの向かって左隣にいるのは、「クラブのキング」のオグランダー氏、あるいは「消えた廃坑」の7号車運転手、あるいは「あなたの庭はどんな庭?」のカメラマン。賭け屋の前にいたジャップ警部を警官が呼びに来た際、画面右上端に映っているのも同じ人物か。
 ベクスヒルのデ・ラ・ウォー・パビリオンは、本作のようにベティの勤務先としてではないものの、同原作でジョン・マルコヴィッチ主演のドラマ「ABC殺人事件」にも現地として登場する。
 オリジナル版では、ベティの遺体発見現場で話をする場面でのポワロとヘイスティングスを撮したカットや、謎解きの冒頭のミス・メリオン視点のカットに縦方向の揺れがある。また、ポワロたちがバーナード家に到着する場面でも、家の、向かって右側の窓付近にビデオテープが伸びたような映像の乱れがある。これらは Agatha Christie's Poirot の映像から存在したが、ハイビジョンリマスター版では修復された。一方、2度目にチャーストンへ向かう汽車を外から撮した場面では、画面左下に毛のようなものが写り込んでいる。
 ハイビジョンリマスター版では多くの夜の場面で、遅い時刻に見せるべくオリジナル版で施されていた加工が外れており、特に冒頭のビクトリア駅で大時計や入線する汽車がアップになった際に見える空は、8月下旬の夜11時に近い時刻にしては不自然に明るい。なお、駅へ入線する汽車の映像は前述のとおり「二重の手がかり」からの流用だが、「二重の手がかり」のハイビジョンリマスター版ではオリジナル版同様の加工が施されていた。
 ハイビジョンリマスター版の切換式字幕では、第3の手紙が届いた際にポワロから新聞の日付を示されてヘイスティングスが言う「いや とにかく」という台詞が、ヘイスティングスの台詞を表す緑色(2K放送の場合)あるいは白色(4K放送の場合)ではなく、ポワロの台詞を表す黄色になっている。
 » 結末や真相に触れる内容を表示
  1. [1] デビッド・スーシェ (訳: 本田真己), 「ポワロらしさの秘密」, 『ハヤカワミステリマガジン』 No. 534 2000年9月号, 早川書房, 2000, p. 22
  2. [2] Interview: David Suchet - Strand Mag
  3. [3] 番組ピックアップ, ミステリチャンネル, 2004
  4. [4] David Suchet and Geoffrey Wansell, Poirot and Me, headline, 2013, p. 128
  5. [5] Hugh Fraser on Twitter: "ABC Murders is my favourite and I am very much looking to the version with John Malkovich.… "
  6. [6] 「熊倉一雄インタヴュー」, 『ハヤカワミステリマガジン』 No. 705 2014年11月号, 早川書房, 2014, p. 42
  7. [7] Bexhill Museum on Twitter: "David Suchet as Agatha Christie's Hercule Poirot on Bexhill beach filming "The ABC Murders" (Bexhill is "B") in 1991 & @BexhillObs 5.4.1991. Agatha Christie's daughter Rosalind went to Caledonia #School for Girls, Cooden, #Bexhill #Sussex in 1928. #Seaside #History #1930s @dlwp… https://t.co/hAz9XQmro1"
  8. [8] 小池滋, 「解説」, 『ABC殺人事件』, 早川書房(ハヤカワミステリ文庫), 1987, pp. 337-340
  9. [9] Doncaster St Leger 1935

ロケ地写真

カットされた場面

日本

オリジナル版

[0:32:09/0:23]第3の手紙到着時のポワロとヘイスティングスの会話の一部、手紙の宛先に関する部分
[0:33:00/0:32]駅でのポワロ、ヘイスティングス、ジャップ警部の会話後半
[1:06:09/0:56]ホテルで頭痛に苦しむカスト 〜 競馬場の観客席の喧噪 〜 黙想するポワロ 〜 馬券屋の周りの様子 〜 馬がパドックから出ていく場面 〜 ドンの様子 〜 馬がコースへ入っていく場面 〜 ソーラの様子

ハイビジョンリマスター版

なし

映像ソフト

  • ※1 「名探偵ポワロ DVD-BOX2」にも収録
  • ※2 「名探偵ポワロ [完全版] DVD-BOX2」「名探偵ポワロ [完全版] 全巻 DVD-SET」「名探偵ポワロ [完全版] DVD-SET 5」にも収録
  • ※3 吹替は大塚智則さん主演の新録で、映像もイギリスで販売されているDVDと同じバリエーションを使用
  • ※4 「名探偵ポワロ Blu-ray BOX vol. 2」に収録

同原作の映像化作品

  • [映画] 「The Alphabet Murders」 1966年 監督:フランク・タシュリン 出演:トニー・ランドール、ロバート・モーレイ、モーリス・デナム
  • [アニメ] 「アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル 第5話〜第8話 ABC殺人事件」 2004年 監督:高橋ナオヒト 出演:里見浩太朗、折笠富美子、野島裕史、屋良有作、田中敦子
  • [TV] 「名探偵赤富士鷹 ABC殺人事件」 2005年 演出:吉川邦夫 脚本:藤本有紀 出演:伊東四朗、塚本高史、益岡徹、熊倉一雄
  • [TV] 「ABC殺人事件」 2018年 監督:アレックス・ガバシ 脚本:サラ・フェルプス 出演:ジョン・マルコヴィッチ(石田圭祐)
2024年3月8日更新