チョコレートの箱 The Chocolate Box
放送履歴
日本
オリジナル版(44分00秒)
- 1993年07月10日 21時30分〜 (NHK総合)
- 1994年03月03日 17時05分〜 (NHK総合)
- 1995年08月22日 17時15分〜 (NHK総合)
- 1998年12月24日 15時10分〜 (NHK総合)
- 2003年07月24日 18時00分〜 (NHK衛星第2)
ハイビジョンリマスター版(50分00秒)
- 2016年07月23日 16時00分〜 (NHK BSプレミアム)
- 2016年12月28日 17時00分〜 (NHK BSプレミアム)
- 2020年12月26日 17時10分〜 (NHK BSプレミアム)※1
- 2021年12月02日 09時00分〜 (NHK BS4K)
- 2023年03月08日 21時00分〜 (NHK BSプレミアム・BS4K)※2
- ※1 エンディング冒頭より画面下部に次回の放送時間案内の字幕表示(帯付き)あり
- ※2 BSプレミアムでの放送は、オープニング冒頭の画面左上にBS4K同時放送のアイコン表示あり
海外
- 1993年02月21日 (英・ITV)
原作
邦訳
- 「チョコレートの箱」 - 『ポアロ登場』 クリスティー文庫 真崎義博訳
- 「チョコレートの箱」 - 『ポアロ登場』 ハヤカワミステリ文庫 小倉多加志訳
- 「チョコレートの箱」 - 『ポワロの事件簿2』 創元推理文庫 厚木淳訳
原書
雑誌等掲載
- The Clue of the Chocolate Box, The Sketch, 23 May 1923 (UK)
- The Chocolate Box, The Blue Book Magazine, February 1925 (USA)
短篇集
- The Chocolate Box, Poirot Investigates, Dodd Mead, 1925 (USA)
- The Chocolate Box, Poirot's Early Cases, Collins, September 1974 (UK)
オープニングクレジット
日本
オリジナル版
名探偵ポワロ / DAVID SUCHET // PHILIP JACKSON / チョコレートの箱, THE CHOCOLATE BOX / Dramatized by DOUGLAS WATKINSON
ハイビジョンリマスター版
名探偵ポワロ / DAVID SUCHET / AGATHA CHRISTIE'S POIROT / チョコレートの箱 // HUGH FRASER / PHILIP JACKSON / PAULINE MORAN / THE CHOCOLATE BOX / Dramatized by DOUGLAS WATKINSON
エンディングクレジット
日本
オリジナル版
原作 アガサ・クリスティー 脚本 ダグラス・ワトキンソン 監督 ケン・グリーブ 制作 LWT(イギリス) / 出演 ポワロ(デビッド・スーシェ) 熊倉一雄 ジャップ警部(フィリップ・ジャクソン) 坂口芳貞 ビルジニー 鈴木弘子 デルラール夫人 鳳 八千代 サン・タラール 阪 脩 シャンタリエ 仲村秀生 松岡文雄 大宮悌二 林 一夫 佐古雅誉 さとうあい 篠原大作 北村弘一 / 日本語版 宇津木道子 山田悦司 福岡浩美 南部満治 金谷和美
ハイビジョンリマスター版
原作 アガサ・クリスティー 脚本 ダグラス・ワトキンソン 演出 ケン・グリーブ 制作 LWT (イギリス) 出演 ポワロ(デビッド・スーシェ) 熊倉 一雄 ジャップ警部(フィリップ・ジャクソン) 坂口 芳貞 ビルジニー 鈴木 弘子 デルラール夫人 鳳 八千代/福井 裕子 サン・タラール 阪 脩 シャンタリエ 仲村 秀生/園江 治 松岡 文雄 大宮 悌二 林 一夫 佐古 正人 さとう あい 篠原 大作 北村 弘一 田中 完 三宅 健太 今村 俊一 日本語版スタッフ 翻訳 宇津木 道子 演出 山田 悦司 音声 金谷 和美 プロデューサー 里口 千
海外
オリジナル版
Hercule Poirot: DAVID SUCHET; Chief Inspector Japp: PHILIP JACKSON; Madame Deroulard: ROSALIE CRUTCHLEY; Virginie Mesnard: ANNA CHANCELLOR; Gaston Beaujeu: DAVED DE KEYSER; Claude Chantalier: JONATHAN HACKETT; Xavier St. Alard: GEOFFREY WHITEHEAD; Boucher: MARK EDEN; Jean-Louis Ferraud: JONATHAN BARLOW; Paul Deroulard: JAMES COOMBES; Francois: PRESTON LOCKWOOD; Denise: LINDA BROUGHTON; Jeanette: KIRSTEN CLARK; Coroner: MICHAEL BEINT; Marianne Deroulard: LUCY COHU; Henri: RICHARD DERRINGTON; Stunts: SY HOLLAND / Developed for Television by Carnival Films; (中略)Made at Twickenham Studios, London, England / Assistant Directors: TERRY MADDEN, TIM LEWIS, DOMINIC FYSH; Production Manager: GUY TANNAHILL; Production Co-ordinator: LEILA KIRKPATRICK; Accounts: JOHN BEHARRELL, PENELOPE FORRESTER; Locations: NIGEL GOSTELOW, JEREMY JOHNS; Script Supervisor: MAGGIE LEWTY; Camera Operator: STEVEN ALCORN; Focus Puller: DANNY SHELMERDINE; Clapper/Loader: RAY COOPER; Grip: JOHN ETHERINGTON; Boom Operator: PAUL BOTHAM; Sound Assistant: MATTHEW DESORGHER; Gaffer: VINCE GODDARD; Art Director: PETER WENHAM; Set Decorator: CARLOTTA BARROW; Production Buyer: JUDY DUCKER; Property Master: MICKY LENNON; Construction Manager: ALAN BOOTH; Wardrobe: LISA JOHNSON, ADRIAN SIMMONS, JILL AVERY, VERNON WHITE; Make Up Artists: KATE BOWER, PATRICIA KIRKMAN; Assistant Editor: CATHERINE CREED; Dubbing: PETER LENNARD, ALAN KILLICK, RUPERT SCRIVENER / Production Manager Belgium: DANIEL VAN AVERMAET, Phantom Films; Made in co-operation with the cities of Antwerp and Brussels / Costume Designer: BARBARA KRONIG; Make Up Supervisor: HIRARY MARTIN; Sound Recordist: JEFF HAWKINS; Titles: PAT GAVIN; Casting: REBECCA HOWARD, KATE DAY; Associate Producer: CHRISTOPHER HALL; Editor: ANDREW McCLELLAND; Production Designer: ROB HARRIS; Director of Photography: CHRIS O'DELL; Music: CHRISTOPHER GUNNING; Executive Producer: NICK ELLIOTT / Producer: BRIAN EASTMAN; Director: KEN GRIEVE
あらすじ
ベルギーで賞を受けることになったジャップ警部とともに再び故郷ブリュッセルを訪れたポワロ。懐かしい旧友との再会のなか、話はポワロがベルギー警察時代に手がけて失敗したという事件へ……
事件発生時期
不詳(現在)
1913年(過去)
1913年(過去)
主要登場人物
エルキュール・ポワロ | 私立探偵 |
ジェームス・ジャップ | スコットランド・ヤード主任警部 |
ポール・デルラール | ベルギーの大臣 |
マダム・デルラール | ポールの母 |
マリアンヌ・デルラール | ポールの妻、故人 |
ビルジニー・メナール | マリアンヌの従妹 |
フランソワ | デルラール家の執事 |
ザビエール・サン・タラール伯爵 | ポールの友人 |
ガストン・ボージュ | デルラール家の友人 |
クロード・シャンタリエ | ポワロの友人、警察官 |
ジャン・ルイ・フェロー | ポワロの友人、薬剤師 |
ブシェール | 警視 |
解説、みたいなもの
2009年にAXNミステリーが短篇作品を対象におこなった視聴者投票(結果発表は2010年の年明け)で1位に選ばれたエピソード。ポワロがベルギー警察時代に手がけた事件を描いた作品で、その撮影の大半は実際にベルギーでおこなわれた。ポワロがいつも上着の襟につけているブローチの秘密や、ジャップ警部のミドルネームも明らかになるが、これらはいずれもドラマオリジナルの設定である。「エンドハウスの怪事件」原作では1893年のこととなっている(ただし、1936年刊行の「ひらいたトランプ」の原作では、この事件を指すと思われるポワロの前回の「失敗」が28年前とされている)が、そのまま普段から40年以上も前に位置づけるのはさすがに無理があったのか、ドラマでは第一次大戦前夜という設定。「名探偵ポワロ」では字幕から、冒頭のマリアンヌの死が1911年とわかるので、ポールの死は1913年ということになり、これは「スタイルズ荘の怪事件」の、ほんの4年前である。本作のポワロはデルラール事件当時の自分を a junior police officer (巡査) と表現している一方、「二重の手がかり」だと亡命前は head of the police in Belgian (ベルギーで警察のトップ) だったとロサコフ伯爵夫人に言っており、デルラール事件が周囲に失敗と認識されたにもかかわらず、そのあと数年で大出世を遂げたようだ。それとも、ハイビジョンリマスター版の「イタリア貴族殺害事件」で、「あなただって女性に印象づけるために見栄を張ったことがあるでしょう?」とヘイスティングスに言ったのは、自らの実体験に基づいていたのかしらん。
原作はポワロ物の最初の短篇連載の掉尾を飾った作品で、ポワロがヘイスティングスを相手にロンドンの自室で回顧談をする設定だったが、ドラマではその相手がジャップ警部に変更、実際にブリュッセルに赴き、ポワロの話によって現在と過去が交錯しながらストーリーが進んでいく。また、ポワロの完全な失敗談という位置づけだった原作に対し、ドラマでは最後の最後でポワロ自ら誤りに気づく筋書きになった。原作のイギリス人滞在客ウィルスンの役どころはデルラール家の隣人ガストン・ボージュに変更され、ポワロの同僚のシャンタリエや上司のブシェール警視、薬剤師のジャン・ルイらはドラマオリジナルの人物(ただし、ジャン・ルイの代わりの薬剤師は原作にも登場)。ビルジニーがデルラールに想いを寄せていたという設定はなくなり、若きポワロとのあいだに淡いロマンスが用意された。初出時の原作にあった、イヴォンヌというポワロの妹への言及もない。なお、原作に登場しないヘイスティングスやジャップ警部がドラマで出番を追加される例は多くあるが、回顧談の話し相手で物語の本筋に関わらないとはいえ、原作で登場していたヘイスティングスがドラマで完全に出番を削られたのは本作が唯一。また、ヘイスティングスが登場せず、ポワロとジャップ警部のコンビで展開されるエピソードとしても、短篇作品では本作が唯一の例である。若きポワロを演じるスーシェは、体型を太く見せるいつものパッドをはずし、髪を多く見せるヘアピースをつけているだけでなく、口髭の形やボリュームにも現在と微妙な差が見られる。さらには服装の面でも、現在と異なる折り襟のシャツに結び下げのネクタイ、四つボタンのスーツを身につけるなど、時代が随時交錯する複雑な展開のなかでも、現在と過去の違いが明確になるよう配慮されている。それにしても、「ミューズ街の殺人」のハイビジョンリマスター版では、ポワロは「襟を折るなんて灰色の脳細胞に悪すぎます」と折り襟に嫌悪感を示していたはずだが(原語だと 'The turned down collar is the first symptom of decay of the grey cells! (襟を折るなんて灰色の脳細胞の劣化を示す最初の兆候です)' という表現で、原因と結果が入れ替わっているけど)、心境の変化があったのだろうか。
原作のポール・デルラールは、ブリュッセルに住まいを持つもののフランスの代議士で、政教分離をめぐってカトリック教会と対立する立場にあった(フランスの政教分離は、政治が宗教を利用することをいましめる日本の政教分離とは逆に、教会の政治介入をいましめる趣旨を持つ)。しかしドラマの彼はベルギーの大臣になり、その立場にはベルギー国内の民族間対立が絡む。1830年にネーデルラント連合王国から独立して成立したベルギーは、フラマン語(オランダ語)を母語とする住民が暮らす北部と、フランス語(ワロン語)を母語とする住民が暮らす南部からなる多言語国家だったが、独立に際して主導的役割を果たしたフランス系住民の発言力が成立当初から強く、公的な場ではフランス語のみが実質的な公用語だった。しかし社会的地位の低いフラマン系住民のほうが人口比率では多数派であり、19世紀にかけてフラマン語の地位向上を求める運動がつづいた。その一定の成果として、1898年には法律上フラマン語はフランス語と同等と認められたものの、以降もなお大学教育や軍隊ではフランス語が唯一の使用言語であり、教会の司教たちもフランス語に固執していた。こうした事情が、軍隊でのフラマン語の使用を義務づけようとしたポールが「リベラル」と見なされたり、教会に対して批判的だった背景にある。[1][2]なお、ハイビジョンリマスター版には「彼〔サン・タラール〕は古いんですよ。われわれ〔ベルギーの南北〕はもう統一されたんだ」というデルラールの台詞があるが、前述のようにベルギーの南北はネーデルラント連合王国から一体に独立したのであって、別々だった二つの地域が統一されてベルギーになったのではない。デルラールの台詞は原語だと 'He lived in the past, a divided Belgium, Gaston. (彼は古い分かたれたベルギーに生きているんですよ)' という表現で、ベルギー国内の南北を、立場の異なる分断された二者ととらえる考え方が古いという趣旨である。
ブリュッセルでの撮影地は、オテル・メトロポール(ポワロとジャップ警部が滞在したホテル)、最高裁判所(ポールの検死審問がおこなわれた場所)、凱旋門のあるサンコントネール公園(ジャップ警部が記念写真を撮ったり、ビルジニーが容疑者を自白させる大胆な計画をポワロに持ちかけたりした場所)、グラン・プラース(ポワロとフランソワがチェスをしたカフェのある広場)およびそれに面した市庁舎内外(〈黄金の枝〉授与式場)、ヨーロッパ最古のショッピング・アーケードと言われるギャルリー・サン・チュベール(ポワロとビルジニーが2度目に会ったカフェのあるアーケード)、最高裁判所を画面奥に望むミニーム通り(ポワロのアパート)、トラム博物館(トラムのターミナル)。ジャン・ルイの薬局内もジャルダン・ボタニーク大通りとマニ通りの角にあるボタニーク薬局内で撮影されており、薬瓶に印字された住所は現地である。撮影はほかにベルギー第二の都市アントワープでもおこなわれており、冒頭でブリュッセル駅とされているのは実はアントワープの中央駅。デルラール邸も、アール・ヌーボー建築が立ち並ぶことで知られるアントワープのコーヘルス・オジレイ通りにある。サン・タラール伯爵の館は、ブリュッセル近郊のグラン・ビガール城。ポワロがジャップ警部やシャンタリエと会食したレストランはセットと見られ、「戦勝舞踏会事件」のコロッサス・ホールでは柱状の台の上に置かれて使われていた照明の傘が、天井から吊り提げられている。また、ポワロが最初にビルジニーと会ったレストランにも、「雲をつかむ死」の、クランシー宅向かいにあるカフェで使われていた椅子が置かれており、やはりセットと見られる。そして、この2つのレストランは入り口近辺の構造がよく似ており、同じセットを手直しして再利用していると思われる。
ポワロの口から出る「アバクロンビーの事件」は、「スタイルズ荘の怪事件」でも言及される、ベルギー警察時代のポワロとジャップ警部が協力して解決した偽造事件(ただし、「スタイルズ荘の怪事件」の日本語音声では「アバークロンビー」と発音されている)。本作では「警部にはアバクロンビーの事件以来、何度もベルギー警察に力を貸していただきました」とあり、この事件がポワロとジャップ警部が最初に協力した事件であったことがわかる。
ホテルに着いたジャップ警部が「長旅はだめだと言ってうちのは来なかったんですが、やっぱりブリュッセルまでは遠いですな」と言った台詞は、原語では 'Pity Emily couldn't come. Still, I think she's right. Brussels is a far cry from Isleworth.' と言っている。これの far cry は「大違い」といった意味で、「あいにくうちのは来られなかったですが、それで正解ですよ。ブリュッセルはアイズルワースとはまるで違う」ということ。アイズルワースはロンドン西部郊外にある町で、ジャップ警部の自宅はここにある設定となっている。
ブシェール警視からデルラール事件は終わったと告げられたあとの「ところが思いがけない招待をビルジニーから受け、事件が終わっていないことを知ったのです」というポワロのナレーションは、原語だと 'But it was an invitation most unexpected, which ensured that the case was not closed. (ところが思いがけない招待があり、事件はそのままに終わらなかったのです)' という表現で、ビルジニーの名前を出していない。オリジナル版ではその後すぐビルジニーと会う場面へつながっているのに対し、ハイビジョンリマスター版ではその前に招待の主についてのやりとりが補われているが、ポワロのナレーション部分から吹替音声の再収録をおこないながら同じ表現を使用したため、招待主が誰かわかった状態でそのやりとりを聞くことになる。そして、そのなかでアンリとポワロが交わす「どうしても、君がいいと」「名指しで?」「その髭さ」という会話は、原語だと 'She asked for you specially. (特に君をとのご依頼だよ)' 'By name? (名前で?)' 'By moustache. (髭でさ)' というやりとりで、要するに名指しならぬ〈髭指し〉でポワロを指定したということ。ビルジニーは、自分の訴えを聞いたポワロが調査を具申していたのを遠くから目に留めており、おそらくはそのことによって、名前もわからぬポワロを外見的特徴から捜し出すに至ったと思われる。
ハイビジョンリマスター版で、ビルジニーから贈られたブローチを今も付けていることを指摘されてポワロが「ビルジニーは確かにすばらしい人だったんだ、しかし彼女の魅力は言うなれば……」と言うところは、原語だと 'If you think Poirot could not see beyond tha smile most bewitching and that her charm was such that... (もし君が考えているのが、ポワロがあの魅力的な微笑の奥にあるものを見抜けず、彼女の魅力に……)' という表現で、日本語はビルジニーの魅力をつい直接的に熱弁してしまったニュアンスなのに対し、原語は自分がほだされたのではないと主張しようとして、意図せず彼女に魅力を感じていたことを吐露してしまったというニュアンスである。
ハイビジョンリマスター版で、ポワロがマダム・デルラールに警官と名乗った際の「警官と話すのはこれが初めてじゃありませんの」という反応は、原語だと 'I've seen too much of the police lately, Monsieur Poirot. (最近警察の方には嫌というほどお目にかかりましたわ)' という表現で、要するに事件のことについてはすでに十分警察に話したというニュアンスである。そのあとの「彼らがご子息の死因は心臓麻痺だと言ったんですね」「どうでしょう、彼女の気がすむように、わたしに書斎を見せていただけませんか」というポワロの台詞も、原語だと 'And all have believed that your son, he died of heart failure, madame. (そしてその全員がご子息の死を心臓麻痺と信じています)' 'Perhaps I might be able to put her mind at rest, madame, when perhaps I have seen the study and spoken with the servant. (書斎を見せ、召使いと話をさせていただければ、わたしが彼女〔ビルジニー〕の疑いを取り除けるかもしれません)' という表現で、ポワロがほかの警察の人間とは違うという主張がある。
フランソワがチョコレートの箱を持っていった理由について、日本語ではポワロが「女友達にやるためにチョコレートの箱を取っていたんです」と言うので、箱そのものをプレゼントにしようと、処分されるはずの空の箱を保管していたように聞こえるが、カフェでその女友達が帰ったあとにも箱はテーブルに残されているし、中にチョコレートも入っている。原語では 'The servant, François, had taken the box of chocolates to give to a lady friend. (女友達にやるためにチョコレートの箱を持っていったんです)' という台詞で、あえて保管していたというニュアンスはなく、中のチョコレートを女友達にやるために、まだ中身の入っている箱を持ち去ったのだろう。また、その後の「わたしたち二人はカフェに座ってチェスをしました。チョコレートの残りを食べながら」という台詞の前半部は、原語だと 'I found them seated at a cafe, playing chess, (わたしは二人がカフェに座ってチェスをしているのを見つけました)' となっており、カフェでチェスをしていたのも、チョコレートの残りを食べたのも、フランソワと女友達の話。フランソワとポワロも確かにそのあとカフェでチェスをしているが、ポワロは勧められたチョコレートを断っており、「二人」をポワロたちと取ってしまうと、「二人が生きていたということは、その箱には毒は入っていなかったわけだ」というジャップ警部の推理も「そのとおり」とは言い切れなくなる。
マダム・デルラールの目薬に使われているアトロピンについて、原作では強い毒性があるとされている一方、ドラマではジャン・ルイが「1リットルも飲めばたぶん〔人を殺せるだろうけど〕ね」とその毒性に否定的な見解を示す。アトロピンへの感受性は個人差が大きいものの、その致死量はだいたい100ミリグラムとのことで、目薬に用いられていた1パーセント程度の水溶液であれば約10ミリリットルで致死量に達する[3]。原作でアトロピンが殺害手段でないと判断されたのは、ポールの呈した症状がアトロピン中毒と異なったからである。
ハイビジョンリマスター版で、ブシェール警視からの呼び出しを知らされることになる際の「けれど友人のシャンタリエは、わたしにはまだ警官としてやるべきことが残っているのを思い出させてくれました」というポワロのナレーションは、「警官としてやるべきこと」の内容が不明瞭だが、原語では 'but my good friend Chantalier was about to remind me that the day when Poirot could rule own destiny was yet to come. (けれど友人のシャンタリエによって、ポワロが自分の進む道を決められるのはまだ先のことだと思い出させられることになったのです)' という表現で、シャンタリエに上司からの呼び出しを知らされ、個人の裁量で捜査をするには組織の制約を受ける立場であることを思い出させられたという趣旨である。
カフェでビルジニーとポワロが交わす「お呼び立てしてご迷惑じゃなかった?――ポワロさん」(ハイビジョンリマスター版では「巻き込んでしまってごめんなさい――ポワロさん」)「とんでもない――ビルジニーさん」というやりとりは、原語だと 'I hope I haven't made things awkward for you—Hercule. (ご迷惑になっていないといいんですけど――エルキュール)' 'Not at all—Virginie. (とんでもない――ビルジニー)' と初めてお互いをファーストネームで呼びあっており、名前の呼びかけの前に間があるのは、お互いの距離を一歩踏み出す際の逡巡が表れたもの。劇伴も、ビルジニーからの呼びかけを受けて流れ始める。またその前後で、ポワロがシャンタリエに「悪いな」と言ったり(ハイビジョンリマスター版のみ)、ビルジニーに「どうぞ」と言ったりするのは、日本語のみである。
人はしばしば自分の仕事道具で人を殺すものだという例としてポワロが「鍛冶屋はハンマーで」と言うところは、原語だと鍛冶屋ではなく stone-mason (石工) である。
ベルギー時代のポワロのアパートの部屋の壁には、ホワイトヘイブン・マンション56B号室で果物の鉢が置かれたサイドボードの上の壁にかけられているのと同じ絵が飾られている。この絵は「スタイルズ荘の怪事件」でのスタイルズ・セント・メリー村の仮住まいにも飾られていた。
ポワロがビルジニーから贈られるブローチは、実際にはギャバン・ライリーというニュージーランド人宝飾デザイナーの手になるもので、 amphora と呼ばれる古代ギリシャの取っ手付の壺を象っている[4]。なお、ポワロがそのブローチのケースを手にしている際、アップになるとケースの位置が手の内側に寄ることから、それぞれのカットは別個に撮影されたことがわかる。
ビルジニーとサン・タラール伯爵が観劇したオペラは、アレクサンドル・ボロディンの「イーゴリ公」。その第二幕の「韃靼人の踊り」は特に有名。
ジャップ警部が受賞した〈黄金の枝〉や、ポワロに言及されるベルギーの哲学者ジョルジュ・タベルノーは、いずれも実在しないようである。
ジャップ警部以外の登場人物はすべてベルギー人のはずだが、原語音声では皆、きれいな英語で話しており、ポワロだけがいつもどおりの訛った英語を話している。
デルラール老夫人役のロザリー・クラッチリーは、ジョーン・ヒクソン主演の「ミス・マープル」の一篇、「牧師館の殺人」のプライス・リドレー夫人役のほか、「アガサ・クリスティ・アワー」シリーズのリチャード・モラニ主演「赤信号」のトンプソン夫人役や、ジェレミー・ブレット主演の「シャーロック・ホームズの冒険」の一篇、「ノーウッドの建築士」のレキシントン夫人役、ジョン・ネトルズ主演の「バーナビー警部」の一篇、「森の蘭は死の香り」のルーシー・ベリンジャー役などでも見ることができる。また、ジャン・ルイ・フェロー役のジョナサン・バーローは、同「シャーロック・ホームズの冒険」の一篇、「ボスコム渓谷の惨劇」でサマビー警部役を、執事のフランソワ役のプレストン・ロックウッドは、同じく「ミス・マープル」の一篇、「バートラム・ホテルにて」でペニファーザー牧師を演じているほか、フランセスカ・アニスとジェームス・ワーウィック主演「二人で探偵を」シリーズの「鉄壁のアリバイ」にも給仕頭役で出演。ポール・デルラール役のジェームス・クームズは、やはり「シャーロック・ホームズの冒険」の一篇、「赤い輪」のジェナーロ・ルッカ役や、ヘレン・ヘイズ主演の「魔術の殺人」のスティーブン・レスタリック役でも見ることができる。ジュリア・マッケンジー主演の「ミス・マープル4」には、ビルジニー・メナール役のアンナ・チャンセラーが「殺人は容易だ」のリディア・ホートン役、マリアンヌ・デルラール役のルーシー・コフーが「ポケットにライ麦を」のパトリシア・フォーテスキュー役で出演。アンナ・チャンセラーは、ビル・ナイ主演の「無実はさいなむ」にもレイチェル・アーガイル役で出演している。一方、〈黄金の枝〉授賞式後の食事会参加者には、「クラブのキング」のオグランダー氏、あるいは「消えた廃坑」の7号車運転手、あるいは「あなたの庭はどんな庭?」のカメラマン、あるいは「ABC殺人事件」のドンカスター競馬場でドンの隣にいた客の顔が見える。
ジャン・ルイ・フェローの吹替を担当した林一夫さんは、ドラマシリーズ「ロイヤル・スキャンダル 〜エリザベス女王の苦悩〜」の第2回「王室存続の危機」でハロルド・ウィルソン首相を演じたフィリップ・ジャクソンの吹替も担当している。
「名探偵ポワロ」オリジナル版では冒頭のオープニングクレジットのあとに「1911年 ブリュッセル デルラール邸」という字幕が表示されていたが、ハイビジョンリマスター版では「1911年 ブリュッセル」に変更になっている。
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ボージュが情報局の人間としてドイツの協力者を探っていることを明かしたのに対し、ポワロとボージュが交わす「するとデルラールとは友人というより、むしろそのために?」「要するに、そうだ」という会話は、ボージュがデルラールを疑って計画的に近づいたように受け取れるが、原語だと 'So Paul Déroulard was not so much a friend as a mine of information? (するとデルラールは友人というより情報源?)' 'Unwittingly, yes. (図らずも、そうだ)' というやりとりで、目的はデルラールを通じてほかの政府関係者の情報を(も?)入手することであって、デルラールを情報源にしようと意図的に接近した結果でもない。すなわち、殺してしまっては必要な情報が得られなくなるし、もともと友人でもあるということで、殺害の動機が否定されているのである。それにつづく「では、デルラール氏のためにもあなたの無実を信じたいですね」も、原語では 'Then let us hope that for his indiscretions he did not pay with his life. (では、デルラール氏が無分別を命であがなったのではないことを期待しましょう)' という台詞で、日本語は、ボージュが犯人だとすると、デルラール自身が内通者だった(ために暗殺された)という可能性が生じるという趣旨で意訳したものだろうか。
ビルジニーとサン・タラール伯爵の会話を立ち聞きしていたポワロがマダム・デルラールに見つかった際、おそらくは現代的な設備をマスキングした白い箱が壁についているのが見える。
冒頭にマリアンヌが階段を転落した際、落下の最後はうつぶせになっていたはずが、カットが切り替わると仰向けになる。また、謎解きのなかで転落の様子がプレイバックされる際の映像や音声(吹替を含む)は別途撮り直されているようで、ポールとマリアンヌの口論の途中がないほか、部屋を駆け出したマリアンヌの手すりへの手のつき方や最初の転げ落ち方も異なる。
原作はポワロ物の最初の短篇連載の掉尾を飾った作品で、ポワロがヘイスティングスを相手にロンドンの自室で回顧談をする設定だったが、ドラマではその相手がジャップ警部に変更、実際にブリュッセルに赴き、ポワロの話によって現在と過去が交錯しながらストーリーが進んでいく。また、ポワロの完全な失敗談という位置づけだった原作に対し、ドラマでは最後の最後でポワロ自ら誤りに気づく筋書きになった。原作のイギリス人滞在客ウィルスンの役どころはデルラール家の隣人ガストン・ボージュに変更され、ポワロの同僚のシャンタリエや上司のブシェール警視、薬剤師のジャン・ルイらはドラマオリジナルの人物(ただし、ジャン・ルイの代わりの薬剤師は原作にも登場)。ビルジニーがデルラールに想いを寄せていたという設定はなくなり、若きポワロとのあいだに淡いロマンスが用意された。初出時の原作にあった、イヴォンヌというポワロの妹への言及もない。なお、原作に登場しないヘイスティングスやジャップ警部がドラマで出番を追加される例は多くあるが、回顧談の話し相手で物語の本筋に関わらないとはいえ、原作で登場していたヘイスティングスがドラマで完全に出番を削られたのは本作が唯一。また、ヘイスティングスが登場せず、ポワロとジャップ警部のコンビで展開されるエピソードとしても、短篇作品では本作が唯一の例である。若きポワロを演じるスーシェは、体型を太く見せるいつものパッドをはずし、髪を多く見せるヘアピースをつけているだけでなく、口髭の形やボリュームにも現在と微妙な差が見られる。さらには服装の面でも、現在と異なる折り襟のシャツに結び下げのネクタイ、四つボタンのスーツを身につけるなど、時代が随時交錯する複雑な展開のなかでも、現在と過去の違いが明確になるよう配慮されている。それにしても、「ミューズ街の殺人」のハイビジョンリマスター版では、ポワロは「襟を折るなんて灰色の脳細胞に悪すぎます」と折り襟に嫌悪感を示していたはずだが(原語だと 'The turned down collar is the first symptom of decay of the grey cells! (襟を折るなんて灰色の脳細胞の劣化を示す最初の兆候です)' という表現で、原因と結果が入れ替わっているけど)、心境の変化があったのだろうか。
原作のポール・デルラールは、ブリュッセルに住まいを持つもののフランスの代議士で、政教分離をめぐってカトリック教会と対立する立場にあった(フランスの政教分離は、政治が宗教を利用することをいましめる日本の政教分離とは逆に、教会の政治介入をいましめる趣旨を持つ)。しかしドラマの彼はベルギーの大臣になり、その立場にはベルギー国内の民族間対立が絡む。1830年にネーデルラント連合王国から独立して成立したベルギーは、フラマン語(オランダ語)を母語とする住民が暮らす北部と、フランス語(ワロン語)を母語とする住民が暮らす南部からなる多言語国家だったが、独立に際して主導的役割を果たしたフランス系住民の発言力が成立当初から強く、公的な場ではフランス語のみが実質的な公用語だった。しかし社会的地位の低いフラマン系住民のほうが人口比率では多数派であり、19世紀にかけてフラマン語の地位向上を求める運動がつづいた。その一定の成果として、1898年には法律上フラマン語はフランス語と同等と認められたものの、以降もなお大学教育や軍隊ではフランス語が唯一の使用言語であり、教会の司教たちもフランス語に固執していた。こうした事情が、軍隊でのフラマン語の使用を義務づけようとしたポールが「リベラル」と見なされたり、教会に対して批判的だった背景にある。[1][2]なお、ハイビジョンリマスター版には「彼〔サン・タラール〕は古いんですよ。われわれ〔ベルギーの南北〕はもう統一されたんだ」というデルラールの台詞があるが、前述のようにベルギーの南北はネーデルラント連合王国から一体に独立したのであって、別々だった二つの地域が統一されてベルギーになったのではない。デルラールの台詞は原語だと 'He lived in the past, a divided Belgium, Gaston. (彼は古い分かたれたベルギーに生きているんですよ)' という表現で、ベルギー国内の南北を、立場の異なる分断された二者ととらえる考え方が古いという趣旨である。
ブリュッセルでの撮影地は、オテル・メトロポール(ポワロとジャップ警部が滞在したホテル)、最高裁判所(ポールの検死審問がおこなわれた場所)、凱旋門のあるサンコントネール公園(ジャップ警部が記念写真を撮ったり、ビルジニーが容疑者を自白させる大胆な計画をポワロに持ちかけたりした場所)、グラン・プラース(ポワロとフランソワがチェスをしたカフェのある広場)およびそれに面した市庁舎内外(〈黄金の枝〉授与式場)、ヨーロッパ最古のショッピング・アーケードと言われるギャルリー・サン・チュベール(ポワロとビルジニーが2度目に会ったカフェのあるアーケード)、最高裁判所を画面奥に望むミニーム通り(ポワロのアパート)、トラム博物館(トラムのターミナル)。ジャン・ルイの薬局内もジャルダン・ボタニーク大通りとマニ通りの角にあるボタニーク薬局内で撮影されており、薬瓶に印字された住所は現地である。撮影はほかにベルギー第二の都市アントワープでもおこなわれており、冒頭でブリュッセル駅とされているのは実はアントワープの中央駅。デルラール邸も、アール・ヌーボー建築が立ち並ぶことで知られるアントワープのコーヘルス・オジレイ通りにある。サン・タラール伯爵の館は、ブリュッセル近郊のグラン・ビガール城。ポワロがジャップ警部やシャンタリエと会食したレストランはセットと見られ、「戦勝舞踏会事件」のコロッサス・ホールでは柱状の台の上に置かれて使われていた照明の傘が、天井から吊り提げられている。また、ポワロが最初にビルジニーと会ったレストランにも、「雲をつかむ死」の、クランシー宅向かいにあるカフェで使われていた椅子が置かれており、やはりセットと見られる。そして、この2つのレストランは入り口近辺の構造がよく似ており、同じセットを手直しして再利用していると思われる。
ポワロの口から出る「アバクロンビーの事件」は、「スタイルズ荘の怪事件」でも言及される、ベルギー警察時代のポワロとジャップ警部が協力して解決した偽造事件(ただし、「スタイルズ荘の怪事件」の日本語音声では「アバークロンビー」と発音されている)。本作では「警部にはアバクロンビーの事件以来、何度もベルギー警察に力を貸していただきました」とあり、この事件がポワロとジャップ警部が最初に協力した事件であったことがわかる。
ホテルに着いたジャップ警部が「長旅はだめだと言ってうちのは来なかったんですが、やっぱりブリュッセルまでは遠いですな」と言った台詞は、原語では 'Pity Emily couldn't come. Still, I think she's right. Brussels is a far cry from Isleworth.' と言っている。これの far cry は「大違い」といった意味で、「あいにくうちのは来られなかったですが、それで正解ですよ。ブリュッセルはアイズルワースとはまるで違う」ということ。アイズルワースはロンドン西部郊外にある町で、ジャップ警部の自宅はここにある設定となっている。
ブシェール警視からデルラール事件は終わったと告げられたあとの「ところが思いがけない招待をビルジニーから受け、事件が終わっていないことを知ったのです」というポワロのナレーションは、原語だと 'But it was an invitation most unexpected, which ensured that the case was not closed. (ところが思いがけない招待があり、事件はそのままに終わらなかったのです)' という表現で、ビルジニーの名前を出していない。オリジナル版ではその後すぐビルジニーと会う場面へつながっているのに対し、ハイビジョンリマスター版ではその前に招待の主についてのやりとりが補われているが、ポワロのナレーション部分から吹替音声の再収録をおこないながら同じ表現を使用したため、招待主が誰かわかった状態でそのやりとりを聞くことになる。そして、そのなかでアンリとポワロが交わす「どうしても、君がいいと」「名指しで?」「その髭さ」という会話は、原語だと 'She asked for you specially. (特に君をとのご依頼だよ)' 'By name? (名前で?)' 'By moustache. (髭でさ)' というやりとりで、要するに名指しならぬ〈髭指し〉でポワロを指定したということ。ビルジニーは、自分の訴えを聞いたポワロが調査を具申していたのを遠くから目に留めており、おそらくはそのことによって、名前もわからぬポワロを外見的特徴から捜し出すに至ったと思われる。
ハイビジョンリマスター版で、ビルジニーから贈られたブローチを今も付けていることを指摘されてポワロが「ビルジニーは確かにすばらしい人だったんだ、しかし彼女の魅力は言うなれば……」と言うところは、原語だと 'If you think Poirot could not see beyond tha smile most bewitching and that her charm was such that... (もし君が考えているのが、ポワロがあの魅力的な微笑の奥にあるものを見抜けず、彼女の魅力に……)' という表現で、日本語はビルジニーの魅力をつい直接的に熱弁してしまったニュアンスなのに対し、原語は自分がほだされたのではないと主張しようとして、意図せず彼女に魅力を感じていたことを吐露してしまったというニュアンスである。
ハイビジョンリマスター版で、ポワロがマダム・デルラールに警官と名乗った際の「警官と話すのはこれが初めてじゃありませんの」という反応は、原語だと 'I've seen too much of the police lately, Monsieur Poirot. (最近警察の方には嫌というほどお目にかかりましたわ)' という表現で、要するに事件のことについてはすでに十分警察に話したというニュアンスである。そのあとの「彼らがご子息の死因は心臓麻痺だと言ったんですね」「どうでしょう、彼女の気がすむように、わたしに書斎を見せていただけませんか」というポワロの台詞も、原語だと 'And all have believed that your son, he died of heart failure, madame. (そしてその全員がご子息の死を心臓麻痺と信じています)' 'Perhaps I might be able to put her mind at rest, madame, when perhaps I have seen the study and spoken with the servant. (書斎を見せ、召使いと話をさせていただければ、わたしが彼女〔ビルジニー〕の疑いを取り除けるかもしれません)' という表現で、ポワロがほかの警察の人間とは違うという主張がある。
フランソワがチョコレートの箱を持っていった理由について、日本語ではポワロが「女友達にやるためにチョコレートの箱を取っていたんです」と言うので、箱そのものをプレゼントにしようと、処分されるはずの空の箱を保管していたように聞こえるが、カフェでその女友達が帰ったあとにも箱はテーブルに残されているし、中にチョコレートも入っている。原語では 'The servant, François, had taken the box of chocolates to give to a lady friend. (女友達にやるためにチョコレートの箱を持っていったんです)' という台詞で、あえて保管していたというニュアンスはなく、中のチョコレートを女友達にやるために、まだ中身の入っている箱を持ち去ったのだろう。また、その後の「わたしたち二人はカフェに座ってチェスをしました。チョコレートの残りを食べながら」という台詞の前半部は、原語だと 'I found them seated at a cafe, playing chess, (わたしは二人がカフェに座ってチェスをしているのを見つけました)' となっており、カフェでチェスをしていたのも、チョコレートの残りを食べたのも、フランソワと女友達の話。フランソワとポワロも確かにそのあとカフェでチェスをしているが、ポワロは勧められたチョコレートを断っており、「二人」をポワロたちと取ってしまうと、「二人が生きていたということは、その箱には毒は入っていなかったわけだ」というジャップ警部の推理も「そのとおり」とは言い切れなくなる。
マダム・デルラールの目薬に使われているアトロピンについて、原作では強い毒性があるとされている一方、ドラマではジャン・ルイが「1リットルも飲めばたぶん〔人を殺せるだろうけど〕ね」とその毒性に否定的な見解を示す。アトロピンへの感受性は個人差が大きいものの、その致死量はだいたい100ミリグラムとのことで、目薬に用いられていた1パーセント程度の水溶液であれば約10ミリリットルで致死量に達する[3]。原作でアトロピンが殺害手段でないと判断されたのは、ポールの呈した症状がアトロピン中毒と異なったからである。
ハイビジョンリマスター版で、ブシェール警視からの呼び出しを知らされることになる際の「けれど友人のシャンタリエは、わたしにはまだ警官としてやるべきことが残っているのを思い出させてくれました」というポワロのナレーションは、「警官としてやるべきこと」の内容が不明瞭だが、原語では 'but my good friend Chantalier was about to remind me that the day when Poirot could rule own destiny was yet to come. (けれど友人のシャンタリエによって、ポワロが自分の進む道を決められるのはまだ先のことだと思い出させられることになったのです)' という表現で、シャンタリエに上司からの呼び出しを知らされ、個人の裁量で捜査をするには組織の制約を受ける立場であることを思い出させられたという趣旨である。
カフェでビルジニーとポワロが交わす「お呼び立てしてご迷惑じゃなかった?――ポワロさん」(ハイビジョンリマスター版では「巻き込んでしまってごめんなさい――ポワロさん」)「とんでもない――ビルジニーさん」というやりとりは、原語だと 'I hope I haven't made things awkward for you—Hercule. (ご迷惑になっていないといいんですけど――エルキュール)' 'Not at all—Virginie. (とんでもない――ビルジニー)' と初めてお互いをファーストネームで呼びあっており、名前の呼びかけの前に間があるのは、お互いの距離を一歩踏み出す際の逡巡が表れたもの。劇伴も、ビルジニーからの呼びかけを受けて流れ始める。またその前後で、ポワロがシャンタリエに「悪いな」と言ったり(ハイビジョンリマスター版のみ)、ビルジニーに「どうぞ」と言ったりするのは、日本語のみである。
人はしばしば自分の仕事道具で人を殺すものだという例としてポワロが「鍛冶屋はハンマーで」と言うところは、原語だと鍛冶屋ではなく stone-mason (石工) である。
ベルギー時代のポワロのアパートの部屋の壁には、ホワイトヘイブン・マンション56B号室で果物の鉢が置かれたサイドボードの上の壁にかけられているのと同じ絵が飾られている。この絵は「スタイルズ荘の怪事件」でのスタイルズ・セント・メリー村の仮住まいにも飾られていた。
ポワロがビルジニーから贈られるブローチは、実際にはギャバン・ライリーというニュージーランド人宝飾デザイナーの手になるもので、 amphora と呼ばれる古代ギリシャの取っ手付の壺を象っている[4]。なお、ポワロがそのブローチのケースを手にしている際、アップになるとケースの位置が手の内側に寄ることから、それぞれのカットは別個に撮影されたことがわかる。
ビルジニーとサン・タラール伯爵が観劇したオペラは、アレクサンドル・ボロディンの「イーゴリ公」。その第二幕の「韃靼人の踊り」は特に有名。
ジャップ警部が受賞した〈黄金の枝〉や、ポワロに言及されるベルギーの哲学者ジョルジュ・タベルノーは、いずれも実在しないようである。
ジャップ警部以外の登場人物はすべてベルギー人のはずだが、原語音声では皆、きれいな英語で話しており、ポワロだけがいつもどおりの訛った英語を話している。
デルラール老夫人役のロザリー・クラッチリーは、ジョーン・ヒクソン主演の「ミス・マープル」の一篇、「牧師館の殺人」のプライス・リドレー夫人役のほか、「アガサ・クリスティ・アワー」シリーズのリチャード・モラニ主演「赤信号」のトンプソン夫人役や、ジェレミー・ブレット主演の「シャーロック・ホームズの冒険」の一篇、「ノーウッドの建築士」のレキシントン夫人役、ジョン・ネトルズ主演の「バーナビー警部」の一篇、「森の蘭は死の香り」のルーシー・ベリンジャー役などでも見ることができる。また、ジャン・ルイ・フェロー役のジョナサン・バーローは、同「シャーロック・ホームズの冒険」の一篇、「ボスコム渓谷の惨劇」でサマビー警部役を、執事のフランソワ役のプレストン・ロックウッドは、同じく「ミス・マープル」の一篇、「バートラム・ホテルにて」でペニファーザー牧師を演じているほか、フランセスカ・アニスとジェームス・ワーウィック主演「二人で探偵を」シリーズの「鉄壁のアリバイ」にも給仕頭役で出演。ポール・デルラール役のジェームス・クームズは、やはり「シャーロック・ホームズの冒険」の一篇、「赤い輪」のジェナーロ・ルッカ役や、ヘレン・ヘイズ主演の「魔術の殺人」のスティーブン・レスタリック役でも見ることができる。ジュリア・マッケンジー主演の「ミス・マープル4」には、ビルジニー・メナール役のアンナ・チャンセラーが「殺人は容易だ」のリディア・ホートン役、マリアンヌ・デルラール役のルーシー・コフーが「ポケットにライ麦を」のパトリシア・フォーテスキュー役で出演。アンナ・チャンセラーは、ビル・ナイ主演の「無実はさいなむ」にもレイチェル・アーガイル役で出演している。一方、〈黄金の枝〉授賞式後の食事会参加者には、「クラブのキング」のオグランダー氏、あるいは「消えた廃坑」の7号車運転手、あるいは「あなたの庭はどんな庭?」のカメラマン、あるいは「ABC殺人事件」のドンカスター競馬場でドンの隣にいた客の顔が見える。
ジャン・ルイ・フェローの吹替を担当した林一夫さんは、ドラマシリーズ「ロイヤル・スキャンダル 〜エリザベス女王の苦悩〜」の第2回「王室存続の危機」でハロルド・ウィルソン首相を演じたフィリップ・ジャクソンの吹替も担当している。
「名探偵ポワロ」オリジナル版では冒頭のオープニングクレジットのあとに「1911年 ブリュッセル デルラール邸」という字幕が表示されていたが、ハイビジョンリマスター版では「1911年 ブリュッセル」に変更になっている。
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ボージュが情報局の人間としてドイツの協力者を探っていることを明かしたのに対し、ポワロとボージュが交わす「するとデルラールとは友人というより、むしろそのために?」「要するに、そうだ」という会話は、ボージュがデルラールを疑って計画的に近づいたように受け取れるが、原語だと 'So Paul Déroulard was not so much a friend as a mine of information? (するとデルラールは友人というより情報源?)' 'Unwittingly, yes. (図らずも、そうだ)' というやりとりで、目的はデルラールを通じてほかの政府関係者の情報を(も?)入手することであって、デルラールを情報源にしようと意図的に接近した結果でもない。すなわち、殺してしまっては必要な情報が得られなくなるし、もともと友人でもあるということで、殺害の動機が否定されているのである。それにつづく「では、デルラール氏のためにもあなたの無実を信じたいですね」も、原語では 'Then let us hope that for his indiscretions he did not pay with his life. (では、デルラール氏が無分別を命であがなったのではないことを期待しましょう)' という台詞で、日本語は、ボージュが犯人だとすると、デルラール自身が内通者だった(ために暗殺された)という可能性が生じるという趣旨で意訳したものだろうか。
ビルジニーとサン・タラール伯爵の会話を立ち聞きしていたポワロがマダム・デルラールに見つかった際、おそらくは現代的な設備をマスキングした白い箱が壁についているのが見える。
冒頭にマリアンヌが階段を転落した際、落下の最後はうつぶせになっていたはずが、カットが切り替わると仰向けになる。また、謎解きのなかで転落の様子がプレイバックされる際の映像や音声(吹替を含む)は別途撮り直されているようで、ポールとマリアンヌの口論の途中がないほか、部屋を駆け出したマリアンヌの手すりへの手のつき方や最初の転げ落ち方も異なる。
- [1] 栗原福也, 『ベネルクス現代史』, 山川出版社, 1982, pp. 125-128
- [2] 小島健, ベルギー連邦制の背景と課題, 2011
- [3] キャサリン・ハーカップ (訳: 長野きよみ), 『アガサ・クリスティーと14の毒薬』, 岩波書店, 2016, pp. 52, 67
- [4] Gavan Riley —
ロケ地写真
カットされた場面
日本
オリジナル版
[06:36/0:33] | ボージュがデルラールをいさめる場面 |
[10:17/0:25] | ビルジニーに呼ばれたレストランでのポワロとアンリの会話 |
[12:19/0:20] | サン・タラールが現れる直前の、レストランでのポワロ、ジャップ警部、シャンタリエの会話 |
[14:29/0:36] | デルラール邸の前でのポワロ、ビルジニー、老夫人の会話 |
[16:29/0:18] | ポワロがデルラール邸の台所でメイドたちに紹介される場面 |
[20:20/2:02] | 薬局の場面の最後、考えるポワロ 〜 路面電車の駅でシャンタリエがポワロをつかまえる場面 〜 ブシェール警視とポワロのやりとり 〜 アーケードを歩くポワロ 〜 カフェでの会話前半、シャンタリエがいる部分 |
[24:40/0:48] | 授賞会場前の様子 〜 授賞会場でのポワロとジャップ警部の会話 |
[26:30/0:31] | 授賞後のパーティーの場面前半 |
[29:45/0:26] | オペラを見るビルジニーとサン・タラール 〜 ポワロがサン・タラールの館で引き出しやマントルピースを捜し、ため息をつく場面 |
ハイビジョンリマスター版
なし映像ソフト
- [VHS] 「名探偵エルキュール・ポアロ 第29巻 チョコレートの箱」(字幕) 日本クラウン
- [DVD] 「名探偵ポワロ 22 イタリア貴族殺害事件, チョコレートの箱」(字幕・吹替) ビームエンタテインメント(現ハピネット・ピクチャーズ)※1
- [DVD] 「名探偵ポワロ [完全版] 22 イタリア貴族殺害事件, チョコレートの箱」(字幕・吹替) ハピネット・ピクチャーズ※2
- [DVD] 「名探偵ポワロ DVDコレクション 63 チョコレートの箱」(字幕・吹替) デアゴスティーニ・ジャパン※3
- [BD] 「名探偵ポワロ Blu-ray BOX Disc 11 黄色いアイリス, なぞの遺言書, イタリア貴族殺害事件, チョコレートの箱」(字幕/吹替) ハピネット・ピクチャーズ※4
- ※1 「名探偵ポワロ DVD-BOX3」にも収録
- ※2 「名探偵ポワロ [完全版] DVD-BOX2」「名探偵ポワロ [完全版] 全巻 DVD-SET」「名探偵ポワロ [完全版] DVD-SET 6」にも収録
- ※3 吹替は大塚智則さん主演の新録で、映像もイギリスで販売されているDVDと同じバリエーションを使用
- ※4 「名探偵ポワロ Blu-ray BOX vol. 2」に収録