エジプト墳墓のなぞ The Adventure of the Egyptian Tomb
放送履歴
日本
オリジナル版(44分00秒)
- 1993年07月03日 21時00分〜 (NHK総合)
- 1994年01月29日 14時05分〜 (NHK総合)
- 1995年08月21日 17時15分〜 (NHK総合)
- 1998年12月22日 15時10分〜 (NHK総合)
- 2003年07月23日 18時00分〜 (NHK衛星第2)
ハイビジョンリマスター版(49分30秒)
- 2016年06月18日 16時00分〜 (NHK BSプレミアム)
- 2016年11月23日 17時00分〜 (NHK BSプレミアム)
- 2020年11月21日 17時10分〜 (NHK BSプレミアム)※1
- 2021年11月25日 09時00分〜 (NHK BS4K)
- 2022年03月10日 13時00分〜 (NHK BS4K)
- 2023年02月01日 21時00分〜 (NHK BSプレミアム・BS4K)※2
- ※1 エンディング最後の画面下部に次回の放送時間案内の字幕表示(帯付き)あり
- ※2 BSプレミアムでの放送は、オープニング冒頭の画面左上にBS4K同時放送のアイコン表示あり
海外
- 1993年01月17日 (英・ITV)
原作
邦訳
- 「エジプト墳墓の謎」 - 『ポアロ登場』 クリスティー文庫 真崎義博訳
- 「エジプト墳墓の謎」 - 『ポアロ登場』 ハヤカワミステリ文庫 小倉多加志訳
- 「エジプト王の墳墓の事件」 - 『ポワロの事件簿1』 創元推理文庫 厚木淳訳
- 「エジプト墓地の冒険」 - 『クリスティ短編集1』 新潮文庫 井上宗次・石田英二訳
原書
雑誌等掲載
- The Adventure of the Egyptian Tomb, The Sketch, 26 September 1923 (UK)
- The Egyptian Adventure, The Blue Book Magazine, August 1924 (USA)
短篇集
- The Adventure of the Egyptian Tomb, Poirot Investigates, The Bodley Head, 21 March 1924 (UK)
- The Adventure of the Egyptian Tomb, Poirot Investigates, Dodd Mead, 1925 (USA)
オープニングクレジット
日本
オリジナル版
名探偵ポワロ / DAVID SUCHET // HUGH FRASER / PAULINE MORAN / エジプト墳墓のなぞ, THE ADVENTURE OF THE EGYPTIAN TOMB / Dramatized by CLIVE EXTON
ハイビジョンリマスター版
名探偵ポワロ / DAVID SUCHET / AGATHA CHRISTIE'S POIROT / エジプト墳墓のなぞ // HUGH FRASER / PAULINE MORAN / THE ADVENTURE OF THE EGYPTIAN TOMB / Dramatized by CLIVE EXTON
エンディングクレジット
日本
オリジナル版
原作 アガサ・クリスティー 脚本 クライブ・エクストン 監督 ピーター・バーバー・フレミング 制作 LWT(イギリス) / 出演 ポワロ(デビッド・スーシェ) 熊倉一雄 ヘイスティングス(ヒュー・フレイザー) 富山 敬 ミス・レモン 翠 準子 エイムズ 堀 勝之祐 ガイ 江原正士 矢田 稔 大滝進矢 瀬能礼子 千田光男 福田信昭 藤本 譲 大友龍三郎 依田英助 阿部道子 篠原大作 / 日本語版 宇津木道子 山田悦司 福岡浩美 南部満治 金谷和美
ハイビジョンリマスター版
原作 アガサ・クリスティー 脚本 クライブ・エクストン 演出 ピーター・バーバー・フレミング 制作 LWT (イギリス) 出演 ポワロ(デビッド・スーシェ) 熊倉 一雄 ヘイスティングス(ヒュー・フレイザー) 富山 敬/安原 義人 ミス・レモン(ポーリン・モラン) 翠 準子 エイムズ 堀 勝之祐 ガイ 江原 正士 矢田 稔 大滝 進矢 瀬能 礼子 千田 光男 福田 信昭 藤本 譲 大友 龍三郎 依田 英助 阿部 道子 篠原 大作 日本語版スタッフ 翻訳 宇津木 道子 演出 山田 悦司 音声 金谷 和美 プロデューサー 里口 千
海外
オリジナル版
Hercule Poirot: DAVID SUCHET; Captain Hastings: HUGH FRASER; Miss Lemon: PAULINE MORAN; Dr. Ames: ROLF SAXON; Henry Schneider: OLIVER PIERRE; Dr. Fosswell: JON STRICKLAND; Felix Bleibner: BILL BAILEY; Rupert Bleibner: PAUL BIRCHARD; Nigel Harper: SIMON COWELL-PARKER; Sir Guy Willard: GRANT THATCHER; Lady Willard: ANNA CROPPER; Hassan: MOZAFFAR SHAFEIE; Sir John Willard: PETER REEVES; Waiter: BOB WISDOM / Developed for Television by Carnival Films; (中略)Made at Twickenham Studios, London, England / Assistant Directors: PETER BENNETT, GERRY TOOMEY, DOMINIC FYSH; Production Manager: GUY TANNAHILL; Production Co-ordinator: LEILA KIRKPATRICK; Accounts: JOHN BEHARRELL, PENELOPE FORRESTER; Locations: JEREMY OLDFIELD; Script Supervisor: SUE FIELD; Camera Operator: STEVEN ALCORN; Focus Puller: DANNY SHELMERDINE; Clapper/Loader: RAY COOPER; Grip: JOHN ETHERINGTON; Boom Operator: PAUL BOTHAM; Sound Assistant: COLIN CODNER; Gaffer: VINCE GODDARD; Art Director: MARK RAGGETT; Set Decorator: DESMOND CROWE; Production Buyer: MIKE SMITH; Property Master: MICKY LENNON; Construction Manager: ALAN BOOTH; Wardrobe: LISA JOHNSON, NEIL SWEETMORE, JENNY HAWKINS, VERNON WHITE; Make Up Artists: KATE BOWER, PATRICIA KIRKMAN; Assistant Editor: CHRISTIAN WHEELER; Dubbing: ALAN KILLICK, RUPERT SCRIVENER / Spanish Crew; Assistant Director: CARLOS LAZARO; Locations: JUAN CARLOS CARO; Production Manager: DENISE O'DELL / Costume Designer: BARBARA KRONIG; Make Up Supervisor: JANIS GOULD; Sound Recordist: SANDY MacRAE; Titles: PAT GAVIN; Casting: REBECCA HOWARD, KATE DAY; Associate Producer: DOMINIC FULFORD; Editor: CHRIS WIMBLE; Production Designer: TIM HUTCHINSON; Director of Photography: NORMAN LANGLEY B.S.C.; Music: CHRISTOPHER GUNNING; Executive Producer: NICK ELLIOTT / Producer: BRIAN EASTMAN; Director: PETER BARBER FLEMING
あらすじ
エジプトの王家の谷の探検隊がメンハーラ王の埋葬室に入った途端、リーダーのウィラード卿が急死した。そのあとも探検隊関係者に死者が続出し、王の呪いではないかと怖れるレディー・ウィラードの依頼でポワロがエジプトに赴くが……
事件発生時期
1936年6月上旬? 〜
主要登場人物
エルキュール・ポワロ | 私立探偵 |
アーサー・ヘイスティングス | ポワロの探偵事務所のパートナー、陸軍大尉 |
フェリシティ・レモン | ポワロの秘書 |
ジョン・ウィラード卿 | 考古学者、探検隊のリーダー |
レディー・ウィラード | ウィラード卿の妻 |
ガイ・ウィラード卿 | ウィラード卿夫妻の息子 |
ロバート・エイムズ | 医師 |
ヘンリー・シュナイダー | メトロポリタン美術館研究員 |
レナード・フォスウェル | 大英博物館研究員 |
フェリックス・ブライブナー | 探検隊の後援者 |
ルパート・ブライブナー | フェリックスの甥 |
ナイジェル・ハーパー | ブライブナーの秘書 |
ハッサン | 現地人の召使い |
解説、みたいなもの
第1シリーズの「海上の悲劇」以来のエジプトを舞台とするエピソード。ただしロケ地は今回もエジプトではなく、 Agatha Christie's Poirot のエンディングクレジットにスペインのスタッフの名前があるとおり、スペイン南部のアルメリア近郊で撮影された[1][2]。スーシェは本作品の撮影前に最愛の母を亡くしており、その悲痛のなかでの撮影だったという[3]。撮影時期は1992年5月頃[2]。
クライブ・エクストンの脚本らしく、第5シリーズのなかではかなり原作に忠実に映像化された部類に入るが、原作にあった要素のうち、ルパート・ブライブナーが放蕩者で伯父との折りあいも悪く、エジプトにまで金の無心に来たが断られたという伏線はなくなっている。また、かねてよりルパートと面識のあったメンバーがドクター・エイムズとシュナイダー博士からドクター・エイムズとハーパーに変更されているほか、大英博物館から参加しているメンバーの名前がトスウィル (Tosswill) からフォスウェル (Fosswell) に変わっている。原作で直接描かれているのは、主に2回目のレディー・ウィラードとの会見以降の部分である。
原作によればメンハーラ王は「第八王朝のなぞの多い王の一人」とされており、この第8王朝は紀元前22世紀頃に存在した王朝。ドラマで石棺を開けた際のポワロの台詞にある「トロイの都が包囲されたさらに千年も前」は紀元前23世紀頃に当たり、「千年も前」を大雑把な表現ととらえれば、誤差範囲1割で原作の設定に準じていると取ることはできる。しかし、埋葬室の封印に関するブライブナーの台詞や、副葬品のジャスミンに関するハーパーの台詞だと、メンハーラ王の時代は劇中から3000年(以上)前とされており、こちらは紀元前11世紀(以前)ということになって、時代があわない。なお、第8王朝でもほかの王朝でも、メンハーラという王が実在した記録はない模様。原作は『ザ・スケッチ』紙1923年9月26日号に発表された、同紙への短篇連載第2期の劈頭を飾った一作で、前年のツタンカーメン王の墳墓発見に着想を得て書かれたと見られる。ツタンカーメン王の墳墓は1922年11月4日にイギリスの考古学者ハワード・カーターによって発見されたが、その直後に後援者のカーナヴォン伯爵が不慮の死を遂げ、王家の呪いとして喧伝された。撮影にあたっては、美術監督のティム・ハッチンソンも、このツタンカーメン王の墳墓発掘の写真を大いに参考にしたという[1]。また、原作にはない、墓の扉を開けたときに葬儀の花輪がまだ床に残っていたという言及も、ツタンカーメン王の墳墓発掘の逸話を参考に挿入されたかに思われる。しかし、ツタンカーメン王の墳墓で花輪や花束などが納められていたのは棺の中であった。[4]加えて、劇中の探検隊のキャンプに掲げられたエジプト国旗は1984年に制定されたもので、1936年当時は緑の地に白い三日月と星3つをあしらった旗だった(「海上の悲劇」では、その正しい国旗が警察署の建物に下げられている)。ところで余談ながら、カーナヴォン伯爵家はドラマ「ダウントン・アビー」の撮影地として知られるハイクレア城の主で、その「ダウントン・アビー」を制作したカーニバル・フィルムは、本作を含む「名探偵ポワロ」第8シリーズまでを手がけた制作プロダクションでもある。
冒頭のニュース映像は、本物のニュース映像とドラマで撮影した映像が組みあわせられているが、その本物部分の大半は、実際には1957年11月25日付の、 New Light On The Pharaohs と題されたパテ・ニュースのもの[5]。一方、フォスウェル博士が紹介されるところは、彼がポワロとヘイスティングスを出迎えに現れる場面として、またシュナイダー博士が紹介されるところは、ジョン・ウィラード卿の急死後に一同がテントでそのことなどを話す場面として撮影されたものと思われる。ただ、いずれものちの場面にまったく同じ箇所はなく、別テイクあるいは編集で最終的に使用されなかった部分と見られる。
冒頭にメンハーラ王の埋葬室の封印を破壊する音は原語音声と日本語音声で異なり、日本語音声のほうが、より派手な音がしている。
序盤にポワロがミス・レモンに見せた、ジョン・ウィラード卿の死去を報じる新聞には MONDAY, JUNE 24, 1936 (1936年6月24日月曜日) とあるが、1936年6月24日は水曜日。一方、ヘイスティングスがニューヨークで見た、フェリックス・ブライブナーの死を報じる新聞の日付は MONDAY, JANUARY 6, 1936. (1936年1月6日月曜日) となっていて、曜日は正しいが、日付がジョン卿死去より前になっているだけでなく、処女航海が1936年5月であるクイーン・メリー号がすでに就航していると見られることや、劇中がアジサイの咲く季節であることとも整合しない。しかし、ポワロとミス・レモンが国際電話で会話する際のように、エジプトで日が高い時刻にロンドンで日が低くなるのは、冬の朝から昼にかけてである。また、後者の新聞には INHERITANCE PASSES TO SON (遺産は息子が相続) との小見出しもあるが、フェリックスの遺産相続人は甥のルパートのはず。さらに、その下の記事本文は、ニューディール政策で設立されたテネシー川流域開発公社 (TVA) にまつわる動向を報じるもので、王家の谷での事件とはまったく関係がない。加えて、ハイビジョンリマスター版では同じ紙面の大見出しを説明する「富豪ブライブナー 王家の谷で謎の死」という字幕が追加されているが、そもそも「富豪ブライブナー、なぞの死」という日本語のヘイスティングスの台詞が、その内容を日本の視聴者に説明するべく当てられたもので、原語音声のヘイスティングスは単に 'Good Lord! (なんてことだ!)' と驚いているだけである。一方、前者の紙面にはオリジナル版でもハイビジョンリマスター版でも「ジョン・ウィラード卿 死去」という字幕が付与されているが、オリジナル版では「卿」の字が印刷標準字体であったのに対し、ハイビジョンリマスター版では JIS X 0213:2004 以前の例示字形(つくりが「即」)になっている。
日本語では、ジョン・ウィラード卿に対し、その跡を継いだ息子のガイ青年は「さん」付けで呼ばれているが、原語音声では二人とも Sir の敬称で呼ばれている。 Sir はナイト爵もしくは準男爵を持つ男性に付ける敬称だが、ナイト爵は当代限りなのに対し、準男爵は世襲制なので、ウィラード家が準男爵家であることが窺える。実際、原作ではウィラード家が準男爵家であることが明言されている。なお、準男爵は世襲位階ではあるが、貴族には含まれない。
ヘイスティングスがニューヨークで朝食を頼む場面を原語で聞くと、 over easy (両面焼き) や sunny-side up (片面焼き) といったアメリカ風の言葉がわからなくてまごついているのがわかる。また、ハーパーが「ぼくは現代の科学が教えることを信じますよ」と言ったのにポワロが「古代エジプトに科学はなかったんでしょうか?」と返すところはすこし噛み合っていないように感じられるが、原語では 'We're men of science and I believe what science teaches. (ぼくらは科学の徒ですから、ぼくは科学が教えることを信じますよ)' という台詞で、ハーパーは科学を現代のものに限定していない。そして、石棺の蓋を持ち上げたあとにフォスウェル博士が(さらに?)「蓋を上げろ」と言うところは原語だと 'Tie off.' で、すでに持ち上げてある蓋を、ロープを結んで維持するように指示している。
ヘイスティングスがアメリカから帰ってくるのにあたって乗ってきたのは、「100万ドル債券盗難事件」でポワロとヘイスティングスが処女航海に乗船したクイーン・メリー号。クイーン・メリー号の入港で船を写したカットは、この「100万ドル債券盗難事件」からの使いまわし……というか、「100万ドル債券盗難事件」で使われたのと同じ映像。サウサンプトン港のターミナルビルを写した映像は「100万ドル債券盗難事件」では使われていなかったが、船を迎える人々がラフな服装をしており、やはり劇中よりあとの時代の映像と見られる。ニューヨークの屋外の風景もバンク映像と思われ、ルパートの部屋がある建物の外観は現地のプラザ・ホテルだが、内部はロンドンのクラーケンウェルにあるニュー・リバー・ヘッドのニュー・ビルディングで撮影されている。ニューヨークのレストランが撮影されたのも同棟内である。
ヘイスティングスがルパートの書き残したメモの写しを読み上げる際、ヘイスティングスが折りたたんだ紙を広げるときと、その書面がアップになるときとでは、縦の折り目の山と谷が逆になっている。また、原語では「愛する人」を the people I love と言っているが、紙に書いてあるのは the people that I love である。
破傷風で死亡したというシュナイダー博士の死因について、ポワロがストリキニーネ中毒の可能性を確認したのは、両者が痙攣など類似の症状を呈することによる。しかし、ストリキニーネ中毒は即効性があるのに対し、博士は死亡の数日前から嚥下障碍などの破傷風の初期に特徴的な症状を覚えており、その可能性は否定される。
宿舎のベッドでポワロが読んでいる『エジプト人・カルデア人の魔術』という本は、原作にも登場する書名ながら実在しないようだが、ポワロが読み上げる呪文はそれぞれ「死者の書」の一節。「死者の書」は古代エジプトで副葬品とされた死後の世界の案内書で、該当箇所はその17章に記載された、死後の旅で無事に冥福へたどり着くための呪文の一節である。ただ、その解釈(翻訳)は現在と異なるところがあるようだ。もちろん、劇中はまだ1930年代であるわけだけれど。
ポワロのお茶に入れられたのが青酸カリであれば、特徴的な臭気のある青酸ガス(シアン化水素)は服用後の胃酸との反応で発生するため、カップからそのにおいはしないはず。青酸カリの結晶が臭気を発するのも、その表面が大気中の水分および二酸化炭素と反応するためである。ちなみに、その特徴的なにおいは、しばしば劇中のようにアーモンドのにおいと形容されるが、これはアーモンドの果実が発するにおいのことであって、杏や梅の果実に似たにおいである。
「名探偵ポワロ」ではハイビジョンリマスター版でのみ見られる場面で、ミス・レモンが言った映画の台詞に出てくるダッチ・シュルツとは、ニューヨークに実在したギャングの名前。つまり、ミス・レモンが提案した「資料」の略語「マルシ」は、「安いマンションの事件」で見られたアメリカのギャング映画で使われるような言葉ということ。日本語では「資料」より「マルシ」を「いいやす」いとミス・レモンが評価するが、原語だと英単語としては長めな biographical を biog と短縮しており、'It sounds efficient. (短く済んでいいでしょう)' という評価である。また、同様にハイビジョンリマスター版のみで見られる、ヘイスティングスが最初にルパートの部屋から引きあげたあとに挿入されるエジプトの回想では、埋葬室の封印を壊す様子(音も)やその扉を開ける様子、倒れたウィラード卿の苦しむ様子が、それぞれ冒頭のリアルタイムの場面とは異なる。加えて、ヘイスティングスとミス・レモンが占い(プランシェット)をしている場面では、盤をどけたとき、下の紙に書かれた線が明らかにペンのあった場所で終わっていない。発掘現場の夜のテント内でポワロの顔がアップになったとき、スーシェがコンタクトレンズをつけていることが照明の具合でわかるのも、ハイビジョンリマスター版だとより明瞭である。
レディー・ウィラード役のアンナ・クロッパーは、ジョーン・ヒクソン主演「ミス・マープル」シリーズの「復讐の女神」では、アンセア・ブラッドベリー・スコット役を演じている。
ウィラード卿の邸宅は、バッキンガムシャーのジェラーズ・クロスにあるホワイト・ゲーブル。ポワロが2度目のレディー・ウィラードとの会見のあとで見に行ったのは、大英博物館の1階4番の部屋に展示されたラムセス二世の胸像。このラムセス二世は第8王朝から約900年後の第19王朝の王で、古代エジプトをもっとも繁栄させ、ピーター・ユスチノフ主演の映画「ナイル殺人事件」でも見られるアブ・シンベル神殿をはじめとした、現存する巨大建造物を多く遺したことで知られる。「盗まれたロイヤル・ルビー」の〈盗まれたロイヤル・ルビー〉も、このラムセス二世の時代から伝わったものと思われる。
ニューヨークのルパートの部屋に飾られている絵は、「クラブのキング」でリードバンの書斎に飾られていたのと同じ絵である。また、フォスウェル博士のテントに置かれた椅子は、「コックを捜せ」のカフェや、「100万ドル債券盗難事件」の銀行およびカフェでも使われていた。
今回のテーマ曲は、「戦勝舞踏会事件」のメインテーマのアレンジである。
オープニングクレジットの背後が白黒映像の本作では、ほかのエピソードと異なり、クレジットをオレンジ色で表示している。これは Agatha Christie's Poirot でエンディングクレジットの表示に使われているのと同じ色である。
デビッド・スーシェの自伝によれば、エジプトの場面の撮影地はモロッコであり、炎天下での撮影中、地元の警察署に到着する場面で彼が気を失って倒れるハプニングもあったという[3]。しかし、前述のとおりロケ地はスペインであり、警察署に関わる場面も、完成された作品では一切見ることができない。おそらく、撮影地がモロッコというのは「死との約束」と、地元の警察署に到着する場面で倒れたというのは「メソポタミア殺人事件」と、それぞれ混同されたと思われる[6][7]。
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ポワロが青酸入りのお茶を飲んで倒れたふりをするのは、原作だとヘイスティングスが助けを呼びに行っているあいだにお茶のサンプルを安全な場所に隠すという目的があったが、ドラマではすぐにポワロが小瓶を取り出してしまうため、必然性がまったくなくなっている。
アヌビスの影は、ドラマだとポワロを脅して追い返そうとしたドクター・エイムズの仕業だが、原作はドクターが迷信を信じているかどうかを確認するためにポワロがハッサンに頼んだものであった。
ルパート・ブライブナーの遺書にあった「不治の病の患者」という表現は原語だと leper という単語で、この leper は具体的にハンセン病患者を指すほか、比喩的にのけ者の意味でも使われる。つまり、当初彼は単に「ぼくはのけ者だ」と書き残して死んだと思われたが、実際には自分がハンセン病にかかったと思い込み、まさにそのように書いて自殺していたのである。ただし、日本語の表現と異なり、現在のハンセン病は決して不治の病ではなく、 leper などのネガティブな意味を併せ持つ単語も、日本語の「癩」と同様にハンセン病患者を指す表現として不適切とされている。また原語音声では、ルパートの滞在先であった「どこかのリゾート」「南の島」も Hawaii (ハワイ) と具体名を挙げている。台詞ではそこの「風土病」とも言われているが、ハンセン病は元々ハワイになかった病気で、19世紀に外部から持ち込まれて先住民に大流行し、劇中当時はまだ強力な隔離政策がとられていた。日本語で「ある治療薬」「ある植物の種からとった特効薬」と曖昧にされたのは chaulmoogra oil (大風子油) で、これはかつてハンセン病の治療薬として使われたが、日本語での「特効薬」という表現に対し、その治療効果は実際のところ限定的であって、原語では the only treatment (唯一の治療薬) と表現されている。「それに替わる新しい薬」は、プロミンやダプソンなどのハンセン病の特効薬のことと思われるが、これらの薬にハンセン病の治療効果が発見されたのは1940年代以降のこと。[8][9]原作になく、劇中の時代設定にも合わない台詞を敢えてポワロに言わせているのは、ハンセン病に関する誤解や偏見が今なお根強い中で、現状にそぐわない知識を視聴者に与えまいという制作側の配慮なのだろう。
クライブ・エクストンの脚本らしく、第5シリーズのなかではかなり原作に忠実に映像化された部類に入るが、原作にあった要素のうち、ルパート・ブライブナーが放蕩者で伯父との折りあいも悪く、エジプトにまで金の無心に来たが断られたという伏線はなくなっている。また、かねてよりルパートと面識のあったメンバーがドクター・エイムズとシュナイダー博士からドクター・エイムズとハーパーに変更されているほか、大英博物館から参加しているメンバーの名前がトスウィル (Tosswill) からフォスウェル (Fosswell) に変わっている。原作で直接描かれているのは、主に2回目のレディー・ウィラードとの会見以降の部分である。
原作によればメンハーラ王は「第八王朝のなぞの多い王の一人」とされており、この第8王朝は紀元前22世紀頃に存在した王朝。ドラマで石棺を開けた際のポワロの台詞にある「トロイの都が包囲されたさらに千年も前」は紀元前23世紀頃に当たり、「千年も前」を大雑把な表現ととらえれば、誤差範囲1割で原作の設定に準じていると取ることはできる。しかし、埋葬室の封印に関するブライブナーの台詞や、副葬品のジャスミンに関するハーパーの台詞だと、メンハーラ王の時代は劇中から3000年(以上)前とされており、こちらは紀元前11世紀(以前)ということになって、時代があわない。なお、第8王朝でもほかの王朝でも、メンハーラという王が実在した記録はない模様。原作は『ザ・スケッチ』紙1923年9月26日号に発表された、同紙への短篇連載第2期の劈頭を飾った一作で、前年のツタンカーメン王の墳墓発見に着想を得て書かれたと見られる。ツタンカーメン王の墳墓は1922年11月4日にイギリスの考古学者ハワード・カーターによって発見されたが、その直後に後援者のカーナヴォン伯爵が不慮の死を遂げ、王家の呪いとして喧伝された。撮影にあたっては、美術監督のティム・ハッチンソンも、このツタンカーメン王の墳墓発掘の写真を大いに参考にしたという[1]。また、原作にはない、墓の扉を開けたときに葬儀の花輪がまだ床に残っていたという言及も、ツタンカーメン王の墳墓発掘の逸話を参考に挿入されたかに思われる。しかし、ツタンカーメン王の墳墓で花輪や花束などが納められていたのは棺の中であった。[4]加えて、劇中の探検隊のキャンプに掲げられたエジプト国旗は1984年に制定されたもので、1936年当時は緑の地に白い三日月と星3つをあしらった旗だった(「海上の悲劇」では、その正しい国旗が警察署の建物に下げられている)。ところで余談ながら、カーナヴォン伯爵家はドラマ「ダウントン・アビー」の撮影地として知られるハイクレア城の主で、その「ダウントン・アビー」を制作したカーニバル・フィルムは、本作を含む「名探偵ポワロ」第8シリーズまでを手がけた制作プロダクションでもある。
冒頭のニュース映像は、本物のニュース映像とドラマで撮影した映像が組みあわせられているが、その本物部分の大半は、実際には1957年11月25日付の、 New Light On The Pharaohs と題されたパテ・ニュースのもの[5]。一方、フォスウェル博士が紹介されるところは、彼がポワロとヘイスティングスを出迎えに現れる場面として、またシュナイダー博士が紹介されるところは、ジョン・ウィラード卿の急死後に一同がテントでそのことなどを話す場面として撮影されたものと思われる。ただ、いずれものちの場面にまったく同じ箇所はなく、別テイクあるいは編集で最終的に使用されなかった部分と見られる。
冒頭にメンハーラ王の埋葬室の封印を破壊する音は原語音声と日本語音声で異なり、日本語音声のほうが、より派手な音がしている。
序盤にポワロがミス・レモンに見せた、ジョン・ウィラード卿の死去を報じる新聞には MONDAY, JUNE 24, 1936 (1936年6月24日月曜日) とあるが、1936年6月24日は水曜日。一方、ヘイスティングスがニューヨークで見た、フェリックス・ブライブナーの死を報じる新聞の日付は MONDAY, JANUARY 6, 1936. (1936年1月6日月曜日) となっていて、曜日は正しいが、日付がジョン卿死去より前になっているだけでなく、処女航海が1936年5月であるクイーン・メリー号がすでに就航していると見られることや、劇中がアジサイの咲く季節であることとも整合しない。しかし、ポワロとミス・レモンが国際電話で会話する際のように、エジプトで日が高い時刻にロンドンで日が低くなるのは、冬の朝から昼にかけてである。また、後者の新聞には INHERITANCE PASSES TO SON (遺産は息子が相続) との小見出しもあるが、フェリックスの遺産相続人は甥のルパートのはず。さらに、その下の記事本文は、ニューディール政策で設立されたテネシー川流域開発公社 (TVA) にまつわる動向を報じるもので、王家の谷での事件とはまったく関係がない。加えて、ハイビジョンリマスター版では同じ紙面の大見出しを説明する「富豪ブライブナー 王家の谷で謎の死」という字幕が追加されているが、そもそも「富豪ブライブナー、なぞの死」という日本語のヘイスティングスの台詞が、その内容を日本の視聴者に説明するべく当てられたもので、原語音声のヘイスティングスは単に 'Good Lord! (なんてことだ!)' と驚いているだけである。一方、前者の紙面にはオリジナル版でもハイビジョンリマスター版でも「ジョン・ウィラード
日本語では、ジョン・ウィラード卿に対し、その跡を継いだ息子のガイ青年は「さん」付けで呼ばれているが、原語音声では二人とも Sir の敬称で呼ばれている。 Sir はナイト爵もしくは準男爵を持つ男性に付ける敬称だが、ナイト爵は当代限りなのに対し、準男爵は世襲制なので、ウィラード家が準男爵家であることが窺える。実際、原作ではウィラード家が準男爵家であることが明言されている。なお、準男爵は世襲位階ではあるが、貴族には含まれない。
ヘイスティングスがニューヨークで朝食を頼む場面を原語で聞くと、 over easy (両面焼き) や sunny-side up (片面焼き) といったアメリカ風の言葉がわからなくてまごついているのがわかる。また、ハーパーが「ぼくは現代の科学が教えることを信じますよ」と言ったのにポワロが「古代エジプトに科学はなかったんでしょうか?」と返すところはすこし噛み合っていないように感じられるが、原語では 'We're men of science and I believe what science teaches. (ぼくらは科学の徒ですから、ぼくは科学が教えることを信じますよ)' という台詞で、ハーパーは科学を現代のものに限定していない。そして、石棺の蓋を持ち上げたあとにフォスウェル博士が(さらに?)「蓋を上げろ」と言うところは原語だと 'Tie off.' で、すでに持ち上げてある蓋を、ロープを結んで維持するように指示している。
ヘイスティングスがアメリカから帰ってくるのにあたって乗ってきたのは、「100万ドル債券盗難事件」でポワロとヘイスティングスが処女航海に乗船したクイーン・メリー号。クイーン・メリー号の入港で船を写したカットは、この「100万ドル債券盗難事件」からの使いまわし……というか、「100万ドル債券盗難事件」で使われたのと同じ映像。サウサンプトン港のターミナルビルを写した映像は「100万ドル債券盗難事件」では使われていなかったが、船を迎える人々がラフな服装をしており、やはり劇中よりあとの時代の映像と見られる。ニューヨークの屋外の風景もバンク映像と思われ、ルパートの部屋がある建物の外観は現地のプラザ・ホテルだが、内部はロンドンのクラーケンウェルにあるニュー・リバー・ヘッドのニュー・ビルディングで撮影されている。ニューヨークのレストランが撮影されたのも同棟内である。
ヘイスティングスがルパートの書き残したメモの写しを読み上げる際、ヘイスティングスが折りたたんだ紙を広げるときと、その書面がアップになるときとでは、縦の折り目の山と谷が逆になっている。また、原語では「愛する人」を the people I love と言っているが、紙に書いてあるのは the people that I love である。
破傷風で死亡したというシュナイダー博士の死因について、ポワロがストリキニーネ中毒の可能性を確認したのは、両者が痙攣など類似の症状を呈することによる。しかし、ストリキニーネ中毒は即効性があるのに対し、博士は死亡の数日前から嚥下障碍などの破傷風の初期に特徴的な症状を覚えており、その可能性は否定される。
宿舎のベッドでポワロが読んでいる『エジプト人・カルデア人の魔術』という本は、原作にも登場する書名ながら実在しないようだが、ポワロが読み上げる呪文はそれぞれ「死者の書」の一節。「死者の書」は古代エジプトで副葬品とされた死後の世界の案内書で、該当箇所はその17章に記載された、死後の旅で無事に冥福へたどり着くための呪文の一節である。ただ、その解釈(翻訳)は現在と異なるところがあるようだ。もちろん、劇中はまだ1930年代であるわけだけれど。
ポワロのお茶に入れられたのが青酸カリであれば、特徴的な臭気のある青酸ガス(シアン化水素)は服用後の胃酸との反応で発生するため、カップからそのにおいはしないはず。青酸カリの結晶が臭気を発するのも、その表面が大気中の水分および二酸化炭素と反応するためである。ちなみに、その特徴的なにおいは、しばしば劇中のようにアーモンドのにおいと形容されるが、これはアーモンドの果実が発するにおいのことであって、杏や梅の果実に似たにおいである。
「名探偵ポワロ」ではハイビジョンリマスター版でのみ見られる場面で、ミス・レモンが言った映画の台詞に出てくるダッチ・シュルツとは、ニューヨークに実在したギャングの名前。つまり、ミス・レモンが提案した「資料」の略語「マルシ」は、「安いマンションの事件」で見られたアメリカのギャング映画で使われるような言葉ということ。日本語では「資料」より「マルシ」を「いいやす」いとミス・レモンが評価するが、原語だと英単語としては長めな biographical を biog と短縮しており、'It sounds efficient. (短く済んでいいでしょう)' という評価である。また、同様にハイビジョンリマスター版のみで見られる、ヘイスティングスが最初にルパートの部屋から引きあげたあとに挿入されるエジプトの回想では、埋葬室の封印を壊す様子(音も)やその扉を開ける様子、倒れたウィラード卿の苦しむ様子が、それぞれ冒頭のリアルタイムの場面とは異なる。加えて、ヘイスティングスとミス・レモンが占い(プランシェット)をしている場面では、盤をどけたとき、下の紙に書かれた線が明らかにペンのあった場所で終わっていない。発掘現場の夜のテント内でポワロの顔がアップになったとき、スーシェがコンタクトレンズをつけていることが照明の具合でわかるのも、ハイビジョンリマスター版だとより明瞭である。
レディー・ウィラード役のアンナ・クロッパーは、ジョーン・ヒクソン主演「ミス・マープル」シリーズの「復讐の女神」では、アンセア・ブラッドベリー・スコット役を演じている。
ウィラード卿の邸宅は、バッキンガムシャーのジェラーズ・クロスにあるホワイト・ゲーブル。ポワロが2度目のレディー・ウィラードとの会見のあとで見に行ったのは、大英博物館の1階4番の部屋に展示されたラムセス二世の胸像。このラムセス二世は第8王朝から約900年後の第19王朝の王で、古代エジプトをもっとも繁栄させ、ピーター・ユスチノフ主演の映画「ナイル殺人事件」でも見られるアブ・シンベル神殿をはじめとした、現存する巨大建造物を多く遺したことで知られる。「盗まれたロイヤル・ルビー」の〈盗まれたロイヤル・ルビー〉も、このラムセス二世の時代から伝わったものと思われる。
ニューヨークのルパートの部屋に飾られている絵は、「クラブのキング」でリードバンの書斎に飾られていたのと同じ絵である。また、フォスウェル博士のテントに置かれた椅子は、「コックを捜せ」のカフェや、「100万ドル債券盗難事件」の銀行およびカフェでも使われていた。
今回のテーマ曲は、「戦勝舞踏会事件」のメインテーマのアレンジである。
オープニングクレジットの背後が白黒映像の本作では、ほかのエピソードと異なり、クレジットをオレンジ色で表示している。これは Agatha Christie's Poirot でエンディングクレジットの表示に使われているのと同じ色である。
デビッド・スーシェの自伝によれば、エジプトの場面の撮影地はモロッコであり、炎天下での撮影中、地元の警察署に到着する場面で彼が気を失って倒れるハプニングもあったという[3]。しかし、前述のとおりロケ地はスペインであり、警察署に関わる場面も、完成された作品では一切見ることができない。おそらく、撮影地がモロッコというのは「死との約束」と、地元の警察署に到着する場面で倒れたというのは「メソポタミア殺人事件」と、それぞれ混同されたと思われる[6][7]。
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ポワロが青酸入りのお茶を飲んで倒れたふりをするのは、原作だとヘイスティングスが助けを呼びに行っているあいだにお茶のサンプルを安全な場所に隠すという目的があったが、ドラマではすぐにポワロが小瓶を取り出してしまうため、必然性がまったくなくなっている。
アヌビスの影は、ドラマだとポワロを脅して追い返そうとしたドクター・エイムズの仕業だが、原作はドクターが迷信を信じているかどうかを確認するためにポワロがハッサンに頼んだものであった。
ルパート・ブライブナーの遺書にあった「不治の病の患者」という表現は原語だと leper という単語で、この leper は具体的にハンセン病患者を指すほか、比喩的にのけ者の意味でも使われる。つまり、当初彼は単に「ぼくはのけ者だ」と書き残して死んだと思われたが、実際には自分がハンセン病にかかったと思い込み、まさにそのように書いて自殺していたのである。ただし、日本語の表現と異なり、現在のハンセン病は決して不治の病ではなく、 leper などのネガティブな意味を併せ持つ単語も、日本語の「癩」と同様にハンセン病患者を指す表現として不適切とされている。また原語音声では、ルパートの滞在先であった「どこかのリゾート」「南の島」も Hawaii (ハワイ) と具体名を挙げている。台詞ではそこの「風土病」とも言われているが、ハンセン病は元々ハワイになかった病気で、19世紀に外部から持ち込まれて先住民に大流行し、劇中当時はまだ強力な隔離政策がとられていた。日本語で「ある治療薬」「ある植物の種からとった特効薬」と曖昧にされたのは chaulmoogra oil (大風子油) で、これはかつてハンセン病の治療薬として使われたが、日本語での「特効薬」という表現に対し、その治療効果は実際のところ限定的であって、原語では the only treatment (唯一の治療薬) と表現されている。「それに替わる新しい薬」は、プロミンやダプソンなどのハンセン病の特効薬のことと思われるが、これらの薬にハンセン病の治療効果が発見されたのは1940年代以降のこと。[8][9]原作になく、劇中の時代設定にも合わない台詞を敢えてポワロに言わせているのは、ハンセン病に関する誤解や偏見が今なお根強い中で、現状にそぐわない知識を視聴者に与えまいという制作側の配慮なのだろう。
- [1] To mark Poirot's final case: how the Belgian 'tec met his match in the desert-Gareth Huw Davies
- [2] Poirot star Hugh Fraser David on becoming a crime writer and his first book Harm | Life | Life & Style | Express.co.uk
- [3] David Suchet and Geoffrey Wansell, Poirot and Me, headline, 2013, pp. 137-138
- [4] ハワード・カーター (訳: 酒井傳六, 熊田亨), 『ツタンカーメン発掘記 下』, ちくま学芸文庫(筑摩書房), 2001, pp. 24-26, 51
- [5] New Light On The Pharaohs - British Pathé
- [6] Hercule Poirot Huitieme Saison
- [7] Think Poirot's an eccentric obsessive? A revealing portrait of actor David Suchet as he kills his greatest creation | Daily Mail Online
- [8] 森修一, 世界のハンセン病政策に関する研究Ⅰ ―ハワイにおける絶対隔離政策の変遷―, 2018
- [9] 森修一, ハンセン病対策の歴史と現状 ―日本と世界―, 2018
ロケ地写真
カットされた場面
日本
オリジナル版
[08:25/0:26] | 電報での biographical の略語に関するポワロとミス・レモンの会話 |
[10:34/0:23] | ルパートのエジプト回想 〜 レストランで席に案内されるヘイスティングス |
[14:07/0:24] | ルパートに関するポワロとヘイスティングスの会話の一部 |
[18:20/1:19] | ヘイスティングスとミス・レモンが占いをしているところへポワロが帰宅し、エジプト行きを告げる場面 〜 キャンプを歩くエイムズ |
[21:59/1:08] | エイムズの説明に頷くポワロ 〜 シュナイダーの遺体が運び出される場面 〜 ポワロが発掘品を見る場面の冒頭 |
[23:25/1:00] | ヘイスティングスとハッサンがガイ卿について会話する場面 |
[29:12/0:28] | テントでのポワロとヘイスティングスの会話の一部、ミス・レモンの死んだ猫に関する部分 |
[29:49/0:28] | 昼寝をしようとしたヘイスティングスをポワロが起こしにくる場面 |
ハイビジョンリマスター版
なし映像ソフト
- [VHS] 「名探偵エルキュール・ポアロ 第26巻 エジプト墳墓の謎」(字幕) 日本クラウン
- [DVD] 「名探偵ポワロ 20 エジプト墳墓のなぞ, 負け犬」(字幕・吹替) ビームエンタテインメント(現ハピネット・ピクチャーズ)※1
- [DVD] 「名探偵ポワロ [完全版] 20 エジプト墳墓のなぞ, 負け犬」(字幕・吹替) ハピネット・ピクチャーズ※2
- [DVD] 「名探偵ポワロ DVDコレクション 58 エジプト墳墓のなぞ」(字幕・吹替) デアゴスティーニ・ジャパン※3
- [BD] 「名探偵ポワロ Blu-ray BOX Disc 10 愛国殺人, エジプト墳墓のなぞ, 負け犬」(字幕/吹替) ハピネット・ピクチャーズ※4
- ※1 「名探偵ポワロ DVD-BOX2」にも収録
- ※2 「名探偵ポワロ [完全版] DVD-BOX2」「名探偵ポワロ [完全版] 全巻 DVD-SET」「名探偵ポワロ [完全版] DVD-SET 5」にも収録
- ※3 吹替は大塚智則さん主演の新録で、映像もイギリスで販売されているDVDと同じバリエーションを使用
- ※4 「名探偵ポワロ Blu-ray BOX vol. 2」に収録
同原作の映像化作品
- [アニメ] 「アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル 第11話〜第12話 エジプト墳墓の謎」 2004年 監督:高橋ナオヒト 出演:里見浩太朗、折笠富美子、野島裕史、田中敦子